CHAPTER3|LIGA ESPANOLA バレンシア
(4−2−3−1) ○11 ○8 ○9 ○10 ○6 ○7 ○2 ○3 ○4 ○5 ○1
メンバー表(03-04)
番号 | 選手名 |
---|---|
1 | カニサレス |
2 | カルボーニ |
3 | マルチェナ |
4 | アジャラ |
5 | C.トーレス |
6 | アルベルダ |
7 | バラハ |
8 | ビセンテ |
9 | アイマール |
10 | J.ロペス |
11 | ミスタ |
監督 | ベニテス◇土台を作る監督 |
サッカークラブには、サイクルというものがある
→チームの基礎を固める時期、それをベースに発展していく時期、そして衰退していく時期だ
クーペルには、基礎を作る時期の監督として不可欠なカオスに秩序をもたらす才能がある
・好むシステムは、オーソドックスな4-4-2
・最もわかりやすい枠組みを用意し、それを利用して現代サッカーのメソッドを叩き込んでいく
→彼に率いられたチームは、例外なくDFラインのコントロールやプレッシングなど現代サッカーの作法を 押さえた統制のとれたチームに仕上げられる
こうしたタイプの監督は戦術が未発達なアフリカ、アジアの代表チームや、選手の個性が強すぎて全くチームとしてまとまらないビッグクラブの建て直し要員として、うってつけの存在である
現代サッカーのポイント
・「攻」から「守」に切り替わった瞬間にいかに早く守備組織を構築できるか
同時に「守」から「攻」に切り替わった瞬間にいかに早く攻撃にシフトできるか
・攻撃に人数をかければ守備が疎かになり、守備を意識し過ぎると今度は攻撃の迫力が出ない
→そのギリギリのせめぎ合いの中で、いかに適切な着地点を見出すかでチームのスケールが決まってくる
99-00、00-01にCLで2シーズン連続準優勝というクラブ史上に残る金字塔を打ち立てたクーペルのスタイル・クラウディオ・ロペスやジェラール・ロペスといった快足FWのスピードを生かした高速カウンターだった
・自陣の深い位置にDFとMFの2ラインで4+4の隙のないゾーンディフェンスを形成
・強固な守備ブロックで相手の攻撃を遮断し、素早いカウンターを仕掛けた
クーペルが用いた低い位置に守備ブロックを固めるゾーンディフェンス
・モウリーニョがチェルシーで採用して以来、急速に世界中に広まった
・実はこの戦術、効率的にスペースを埋められる4-4-2の利点を守備に応用した形で、北欧諸国で多く見られる
・モウリーニョの4-4-2の源泉は、スペースを埋める事を重視する北米スタイルの4-4-2にあったかもしれない
ただし、違いもある
「守」から「攻」に移った瞬間、攻撃に人数をかけるか否かだ
・モウリーニョは走力のある選手を集めて人数をかけたカウンターを繰り出した
・クーペルのスタイルは、人数をかけないカウンターサッカーだ
攻撃は2トップ依存で守備ブロックは極力崩さない
クーペルのサッカー
・バレンシアではクラブ躍進の基礎作りとして、インテルでは個性派をまとめるフレームワークとして機能した →だが、単調なカウンターサッカーという内容が仇となり、監督としての評価を確立できなかった
・その後、マジョルカ、ベティス、パルマなどスペインとイタリアの中小クラブの監督を歴任した
だが、いずれも途中解任されている
→基礎から発展させていく手段がなかったことが、クーペルの限界だった
◇ベニテスという黄金期
そのクーペルのあとを受け継いだのが、ベニテスだった
・当時は無名だった若手監督の起用を疑問視する声もあったが、バレンシアは彼の下で花開くことになる
・就任初年度の01-02シーズンに国内リーグ制覇、03-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠
ベニテスは、クーペルの築いた基礎を土台に攻守のバランスの取り方をより高度な方法に変えていった
・今までのような原始的な「ポジション厳守」ではなく、「相互カバー」を重視
→ひとりが動いたら、他の選手が随時スライドして穴埋めしていくやり方だ
選手の並びをオーソドックスな4-4-2から、中盤を2ラインにした4-2-3-1へと変更
・一般的に、1ラインの中盤はコンパクト志向でプレッシング向き、2ラインの中盤はパスコースを作りやすく ポゼッション向きとされているが、ベニテスはそのふたつの利点の融合を目指した
・守備時には、近い距離の選手がスライドして常に数的優位を作る
サイドエリアはSMFとDMFとSBの3人が相互に監視、中央エリアでは2列目と3列目が上下から挟撃する
・ピッチ全体を均等にカバーする4-4-2では「1対1の守備」が基本になっており、戦術的な細工が利かない
→そのため、4-2-3-1の立体的な中盤の構成をパスワークだけでなく、守備の局面でも利用した
・中盤のプレッシングが強化された事でDFラインを押し上げられるようになり、2ラインにもかかわらずコン パクトネストが保たれる仕組み
→高度な守備戦術だが、ベニテスの指導力、クーペルが作った土台があったからこそ実現したものだろう
ベニテスの就任と同時にアイマールという攻撃に”違い”を作れるファンタジスタが加入したのも幸運だった
・ゴール前の多彩なアイディアはもちろん、自ら持ち上がってカウンターの起点となれるキープ力がある
また、両サイドのロドリゲスやロペスの攻撃参加を効果的に引き出した
・高い位置でボールを奪い、アイマールを起点に素早くフィニッシュへつなげる
→それがベニテスのサッカーの基盤だった
クーペル時代のバレンシアはヨーロッパで確かな足跡を残した
・だが、スペインらしからぬ守備的なサッカーには賛否両論があった
・その後を継いだベニテスは、結果だけではなく内容も求められるという難しいミッションを見事にクリアした
特筆すべきは安易な補強に走らずに前任者が築いたベクトルの上で、チームを発展させたこと
当時のバレンシアは、組織の機能美を備えたヨーロッパでも屈指のチームだった
→クーペルという助走期間を経て、バレンシアはベニテスのチームでピークを迎えた
◇クーマンの悲劇
契約問題がこじれてベニテスが去ったあと、ラニエーリ、ロペスを経て、若手屈指の理論派キケ・サンチェスが監督に就任した
・結果的に彼は就任3年目の07-08シーズンに解任されたが、過去2年間の成績は決して悪くなかった
にもかかわらず、ファンから認められなかったのは、攻撃のアイディアがなかったから
・ラインコントロールやプレッシングなどの守備面の指導力は評価できる
→だが、それだけならばベニテスの劣化コピーに過ぎない
・キケ・サンチェスはバレンシアのベクトルに合った監督で、チームの遺産を上手く利用した
だが、プラスアルファがなかった
→消費されるだけで緩やかに下っていくサイクルに、バレンシアのファンは我慢ならなかった
ロナウド・クーマンが招聘されたのは、そうした経緯からだった
・クーマンはオランダスタイルの4-4-3を導入し、チームの抜本的な改革に着手
同時にマドゥーロやバネガといったシステムにあった人材の獲得に動いた
→だが、カニサレス、アルベルダ、アングロの3人に対する戦力外通告のドタバタ劇で、選手たちとの間に 溝が出来た
・また、新システムの4-4-3が機能せずに元の4-2-3-1に戻すなど、一時は残留争いに加わるほど低迷した
→クーマンはシーズン終了を待たずに、あえなく解任されている
チームは生き物だ
なんらかの変化がなければ、すぐに水が澱んでしまう
・不思議と高度な組織サッカーを見せるチームほど、その傾向は顕著だ
・ルイス・ファンハールが率いた90年代半ばのアヤックスもピークはほんの数年
ライカールトの下でヨーロッパを席巻したバルセロナもわずか2年後にはチームが崩壊してしまった
サッカークラブのサイクルは、理屈では説明しきれないところがある
・タイトルをとった満足感、戦術に対する飽き、新たな挑戦を望む心など、さまざまな心理が関わっている
バレンシアもキケ・サンチェスの時代には明らかに伸びしろをなくしていた
・クーマンという全く新しい血を入れることで、サイクルを一新させる狙いは理解できる
→だが、チーム改革は長期的な視点を持って慎重に進めなければならない問題だ
・シーズン途中にチームを作り直すのは賢いやり方ではないし、彼らには長年熟成してきた確固たる土台がある
→なんの準備もなく新しいシステムを導入しても、上手くいくはずがない