グアルディオラのサッカー哲学 INTRODUCCION 序章

INTRODUCCION 序章
グアルディオラ監督誕生 [私は決して世界で最も優れた監督ではない]

◇3つのリクエス

「監督として、就任一年目でこれほどの結果を出すことは、大きな評価に値する。
 全ての選手が躍動的で、ボールポゼッション率を高め、サッカーを純粋に楽しんでいる。
 私からも最大級の賞賛を贈りたいと思う」
                    2009年、チャンピオンズリーグ決勝後のファーガソンのコメント

グアルディオラは前監督のライカールトのあとを受け継いだ
ライカールトは2003年から指揮をとり、リーグ優勝2回、CL優勝1回という功績を残した
  →しかし、最後の2年間はタイトルから見放され、クラブを去ることになる
バルサには新たなリーダーが必要であり、大きな改革が求められていた
  →その時、白羽の矢が立ったのが、クラブのシンボルでもあるグアルディオラである

監督就任を受諾する前に、幹部に対して3つの大きな変革を要求した
(1)トレーニングの流れについての大幅な変更
・トレーニング場をそれまでのカンプ・ノウの隣接の施設から、多くのフィールドがある郊外の施設に移す
・そこで午前と午後にトレーニングを行い、途中、選手全員で昼食を取るという提案
(2)選手たちのメディカル面とフィジカル面におけるサービスを充実させること
・ケガ人に対する診断や処置をする環境を万全にして選手を復帰させる事の大切さと、長いシーズン中、多くの 試合をこなす彼らの重要性を説いた
(3)チームのプレースタイル
・プレースタイルを現代サッカーに沿うものに変更し、必ずしも4−3−3に固執するべきではないという事

◇監督就任会見
以下は、2008年6月17日、監督就任の会見でグアルディオラが述べた言葉である

「これから行うトレーニングの成果、取り組む姿勢や努力の結果を信じている。
 また、言い訳することができないほどの才能を持った選手たちがいるのだから、結果が出なければ、それは監督である私の責任 以外の何事でもない。決して簡単な道ではなく大きな挑戦だが、それ以上のやりがいがあると信じてる」

「私の挑戦は、自分自身のサッカーに対する考えを選手たちにどう伝えるかに尽きる。
 それが出来れば、ファンは我々のやることを誇りに思うようになるはずだ。必ず上手くいくと信じている」


「すべてのプレイスタイルに特徴があり、良いも悪いというものではない。
 しかし、私は自分で選んだスタイルで戦うし、それが出来なければ勝つことも出来ないと思っている。
 どんな試合であっても勝利を第一に考える。そして、私は攻撃的サッカーの絶対的な信者でもある。
 ボールが相手ゴールの近くにあればあるほど、落ち着いていられる。
 巷のメディアには『DFしか補強していない』と言われるが、強固なディフェンスがあってこそ、攻撃が生きるはずだ。
 逆に言えば、いい攻撃が出来れば、必然的にそれがいいディフェンスにもなる」

「選手たちは試合において全力で走り、勝つための努力を惜しまないだろう。
 自分の言葉の強さを信じているが、それだけでは充分でないこともわかっている。
 それを見たファンは、必ずチームのことを誇りに思うはずだ。選手たち個々のレベルの高さは言うまでもない。
 あとは、全員が限界まで努力出来るかどうかが重要だ」

「先シーズンプレイした選手たちはみな、世界トップレベルの選手たちだ。
 しかし、デコ、ロナウジーニョ、そしてエトーは自分の構想にはない。
 ロナウジーニョに関しては、彼が以前のようなに献身的にプレイできる選手に戻れるのであれば、このチームでプレイする事も 可能かもしれないが、今の状況はそうではない。チーム全体を強くするためには、自分も大きな決断を下さなければならない」

「選手に求めることは、フィールドですべてを出し切ることだ。
 それによって試合結果がどうであっても、私は納得するだろう。しかし、それが出来ない選手を許すことはない」

「メッシは大きな戦力として期待している。
 しかし、クラブ全体の責任をひとりの選手に押しつけることは出来ない。
 みんなで彼をサポートしなければならないし、ケガをしないように守らなければならない。
 チームの一員として居心地よく感じて欲しい。
逆に、チームが失点をした時は、チームの一員として彼にも 同じだけの責任がある」

◇史上最高のシーズン
これらはコメントの一部であるが、説得力のあるフレーズが並んでいる
 →「何をどうやって目指すのか」という明確な方向性を示し、新生グアルディオラ体制がスタートした

人々から賞賛されるには、目標やそこにたどり着くまでの道筋を明確にし、最後に結果を出さなければならない
・それを勝ち得るためには、常に勇敢であり続けなければならない
  →彼には、まっすぐな信念と選手を導く能力があり、彼のリーダーシップ、決断力、人柄から学ぶ事は多い


「我々が世界で最も優秀なチームかどうかはわからない。
 今シーズン、どのチームよりもいい成績を収めたことは確かであるが、世界で一番優れているかは私が判断する事ではない。
 そして確実なのは、私は決して世界で最も優れた監督ではないということだ」
                          2009年、チャンピオンズリーグを制して3冠達成後

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE ディナモ・キエフ 

(4−4−2)

○10  ○11

○9
   ○7        ○8   
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

番号 選手名
1 ショフコフスキー
2 ドミトルリン
3 バスチュク
4 ゴロフコ
5 ルジニー
6 グシン
7 コソフスキー
8 カルダシ
9 ベルケビッチ
10 レブロフ
11 シェフチェンコ
監督 ロバノフスキー

◇科学的なアプローチの先駆者
74 ~ 90年、96 ~ 02年の2度の在任期間で、ディナモ・キエフを欧州屈指の強豪に育て上げたロバノフスキー
・試合中、全く動かなかった姿から「石像」とも呼ばれた名将は、サッカーにスポーツ科学を取り入れた先駆者

ヨーロッパ発祥のサッカー
・数字やデータを重視するアメリカンスポーツとは対照的に一種の「曖昧さ」を許容する側面があり、労働者を 中心に競技が普及していたためアカデミックな研究の対象にもなりづらかった
・サッカーをデータ化する試みは、現在のコンディション管理の分野で、ようやく手がつけられ始めている
  →そういった意味でも70年代にロバノフスキーが行なった科学的なアプローチは画期的だった

ディナモ・キエフの監督就任前から地元の大学の教授と協力関係を結んでいたロバノフスキー
・コンピューターを駆使したデータ分析をサッカーに取り入れた
・主な目的は、データを用いた選手個人の能力測定と、ゲーム中の選手の動きを解析する試合分析のふたつ
  →いずれも、データは詳細に数値化され、客観的な判断材料とされた

サッカーをデータ化する試みは、3つの方向性がある
・?選手の能力の数値化
 ?ゲーム分析
 ?コンディション管理
  →過密日程への対策のため現在は?に注目が集まっているが、ロバノフスキーは?と?に関しても興味深い   アプローチを見せている
・選手獲得の際に単純な運動能力の測定だけでなく、形状記憶能力や動体視力といった小脳のテストも行なって いたという
・また、ゲーム分析に関してもコンピューター・プログラムを用いて、選手ごとのプレーエリアや、選手同士の 相性を判定していたようだ



「時間やスペースが減少していくモダンフットボールに対応するには、ボールが来る前から適切なプレーを選択する必要がある」
・これは当時のロバノフスキーの持論だった
・それを実現するため、彼はアメリカンフットボールのように多数の攻撃パターンを選手にインプットした
ディナモ・キエフの選手らは、ボールが来る前から事前にそれがわかっていたかのように動くため、しばしば 「ロボット」と揶揄された
・攻撃にはいくつかのパターンがあり、選手たちは状況に応じてその中から適切なプレーを選択していく
 手数をかけずに最も効率的に相手ゴールを陥れるにはどうすればいいか?
  →ロバノフスキーがシンプルなカウンターを追求したのは、彼独自の哲学を反映した結果だった

「優れた彫刻家は必要ではないものを取り去るものである」
70年代には4-3-3、80 ~ 90年代には4-4-2と合わせたフォーメーションを採用してきたロバノフスキー
・だが、FWと両サイドにスピードのある選手を配置し、素早くカウンターを狙うコンセプトは不動だった
 そのため、ロバノフスキーはスピード豊かな選手を優先的に発掘し、攻撃の軸に据えている

「近代フットボールでは、ドリブルを140回使うチームは勝つ事が出来ない。30回以内に抑えるチームが最高クラスだ」
・また、ロバノフスキーはドリブルを多用するサッカーを否定している
  →派手なプレーを嫌い、それこそ彫刻家のように自らのサッカーに不必要な要素を削り続けた

◇ロボットサッカーの功罪
1974年にディナモ・キエフの監督に就任以来、ソ連リーグ8回、ソ連カップ6回を獲得
ソ連崩壊後も死去する2002年までにウクライナリーグ5連覇を達成
ソ連代表監督としても1976年モントリオール五輪で銅メダル
・1988年の欧州選手権では準優勝と輝かしい足跡を残した

しかし、彼のアスレチックなサッカーには賛否両論があった
共産主義の匂いがするデータ主義への嫌悪感や、単調なカウンタースタイルがその理由だった
ソ連崩壊後は代表の強化を兼ねてディナモ・キエフに戦力を集中させる”国策”がとられている
 ロバノフスキーは、戦力的に恵まれた国内リーグでも頑なにカウンタースタイルを貫いた
  →このことが地元マスコミには不満だったのである

また、ペレストロイカの到来後、西側諸国への選手流出が進んだ
・だが、彼らの移籍が相次いで失敗に終わった事も間接的にこの名将の評価を下げた要因
・「ディナモの選手は、ディナモでしか通用しない」
 →確かに、彼のサッカーには選手をスポイルする要素が含まれていたことは事実かもしれない
・数値化したデータを重視する選手選考は、逆に言えば”目に見えない才能”を切り捨ててきた事を意味する
 しかし、ウクライナという小国が世界と対等に戦うには、カウンタースタイルが最も現実的な選択だった
  →ロバノフスキーが頑なにカウンターを磨き続けたのは、国内リーグではなく、ヨーロッパでの舞台を想定   してのことだろう


◇晩年の最高傑作
98-99シーズンのCL、ディナモ・キエフは準々決勝でレアル・マドリードに勝利してベスト4に進出
 →グループリーグでは、アーセン・ベンゲルの下で日の出の勢いだったアーセナルを一蹴している

このチームはロバノフスキー晩年の最高傑作だった
・中盤ダイヤモンド型の4-4-2の布陣
・戦術はシェフチェンコ、レブロフの2トップを走らせるカウンターが軸になっている
  →だが、守備時はこの2トップも中盤まで引いて献身的にボールを追いかける
ディナモ・キエフの選手は総じて足腰が強く、1対1の競り合いではまず負けなかった
・90年代後半はDFラインを押し上げ、コンパクトなエリアでのボールの奪い合いが頻発していた時期だけに、 なおさら彼らの力強さが威力を発揮している

チーム全体の運動量も豊富だった
・2トップ任せの単調なカウンターではなく、後方から次々と選手が飛び出す分厚い攻めを見せている
・2トップの「守」から「攻」へ切り替える際の動き出しの速さ
  →それに連動して発動するパターン化された高速カウンター
・守備では、チーム全員が献身的なカバーリングを繰り返す
  →個人よりも規律や調和を重んじるロバノフスキーらしい統制のとれたチームだった

ロバノフスキーのコンピューターサッカーの系譜は現在、スポーツ科学の本場であるアメリカに受け継がれてる・アスリート能力を重視し、パターン化された高速カウンターを磨いている点も共通している
・進化が行き詰まった時、まったく別方向から新たな答えが提示されることは、サッカーに限らずよくある現象
・彼らのアカデミックな研究が、サッカーというスポーツをいかに変化させるのか?
  →今後も注視する必要がありそうだ

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE セルティック

(4−4−2)

○10  ○11

○8          ○9
  
○6  ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 ボルツ
2 ネイラー
3 マクマナス
4 コールドウェル
5 ヒンケル
6 ドナーティ
7 S.ブラウン
8 マクギーディ
9 中村俊輔
10 フェネゴール
11 マクドナルド
監督 ストラカン

スコットランドは、お隣のイングランドと非常に近いサッカースタイルを持つ
・激しい身体のぶつかり合いを好み、すべての選手に戦うことを求める
・例えば、イタリアではFWやトップ下などの攻撃的なポジションの守備を免除し、その分ほかの選手がカバー するという分業制の文化があるが、英国サッカーは逆
  →すべての選手が等しく攻守のタスクを受け持ち、特定の王様は作らない
・英国圏で中盤フラット型の4-4-2が圧倒的に普及してるのは、このシステムがこうした英国人の精神性を反映 したものだからだ

◇王様を置いた英国サッカー
中村は数秒ほどフリーになる時間を与えられれば、決定的な仕事が出来る特別な才能を持っている
・一方で、ヨーロッパのトップレベルで戦うためには、スピードとパワーが決定的に足りない
・ヨーロッパ移籍後、相手とボールの間に身体を入れるテクニックや、寄せられる前に味方にボールをはたく球 離れの早さを覚えてよく適応しているが、彼個人の努力だけでは自ずと限界はある
  →中村の良さを最大限に引き出すためには、彼にいかにフリーになるための時間を与えるのかというチーム   としての明確な方針、加えてチームメイトの協力が必要不可欠

特別扱いは決して認めない英国サッカーと、特別扱いしないと光らない中村
・はっきりいって、相性は悪い
 しかし、この賭けは成功だった
  →ストラカン監督は、中村を特別扱いしてくれたのである

セルティックは典型的な英国流4-4-2を採用しているが、RMFにプレーメーカータイプの中村を置いている
・これは大変珍しいケースだ
・そもそもこのシステムのサイドはダイナミックな上下動が求められるポジションで、そこにプレーメーカーを 配置するのはリスクが高い
  →サイドで走り負けてしまうと、チーム全体が押しこまれる原因になってしまう


中村の右サイド起用が成功したのは、ふたつの理由がある
(1)対戦相手のレベルの低さ
スコティッシュ・プレンミアリーグ
 →セルティックとレンジャーズの2強とそれ以外では大きなレベルの差がある
よって、国内リーグではボールを支配できる試合を大半なので、それほど守備の事を考えなくてもいい
 →純粋に中村の攻撃面の才能を生かすことに専念できる環境といえる

(2)ストラカン監督の存在
05-06シーズンセルティックの監督に就任したストラカン
・ロングボール中心のサッカーからパスサッカーへの転換を図っていた
 その切り札として迎えられたのが、中村だった
  →指揮官は王様を作らない英国サッカーをベースにしながら、そこに無理やり中村の居場所を作ってくれた

王様を置いた英国サッカー
・正直、噛み合わせは悪い
・3年経った今でも、中村はセルティックのサッカーにジャストフィットしている訳ではないし、時間帯によっ ては全くボールに絡めなくなる
 だが、セルティックのチャンスの大半は、中村を経由して生まれている
  →完全にフィットしてはいないが、もはや彼なしでセルティックの攻撃は成り立たない事も事実なのだ

問題は、対戦相手のレベルが上がった場合だ
・CLやレンジャーズとのダービーといった互角、あるいはそれ以上の相手との戦いではボール支配率が下がり、 中村が守備に奔走することになる
・はっきりいって、強敵との対戦で彼はまったく機能していない
・単純なゲームの主導権争いだけを考えると、別の選手を起用した方が良いだろう
  →だが、中村を外すと点がとれなくなる

ジレンマである
・強豪相手には中村の個人技(フリーキックも含む)に期待せざるを得ないのに、相手が強くなると中村が守備 に追われて消えてしまう
・平等な英国流4-4-2の中に王様の居場所を作るというのは実験的な融合で興味深い反面、道理を曲げて無理を 通すための「なにか」が必要だ

ボールポゼッションで相手を圧倒できないのであれば、中村を攻撃に専念させるための戦術的な工夫が鍵になる
・中村をトップ下に置いた4-3-1-2あたりが、現実的な落としどころだろうか
・優秀なウイングガーであるマクギーディを生かすために、4-3-3の両ウイングに中村とマクギーディを配する システムも興味深い
・オーソドックスな方法は守備専用の右サイドバックを起用する事だが、縦の突破力がない中村はサイドバック のオーバーラップがないと攻撃力が半減するので却下
  →中村を外すのも選択肢のひとつだが、それでは攻撃があまりにも運頼りになってしまう
ヨーロッパで中堅レベルのセルティックがトップクラスのセルティックと勝負するには、異能者を外して小さくまとまるのではなく、自分たちの殻を破るブレイクスルーが必要
セルティックは中村をエースとしたことで、従来の英国サッカーを”半歩”はみ出した
・方向性は間違っていない
 →あとは、現状の課題をいかに克服していくかだ

そのためには前述したように、4-4-2へのこだわりを捨てる必要があるだろう
・確かに4-4-2は英国圏のサッカースタイルと密接に結びついているが、例えばイングランドでは外国人監督の 流入などで徐々にそれが崩れてきている
  →英国人本来の良さとは、すべての選手が攻守に頑張るハードワーカーにあり、それはどんなシステムでも   生かすことが出来る

実際にストラカン監督もCLでは4-5-1を採用することが多いが、現状では主に守備のための変更に過ぎない
・そうではなく中村の攻撃力を引き出すための「プランB」を熱成させる必要がある
セルティックの未来が頭打ちで終わるのか、それともさらに大きく拓けていくのかは、この点に懸かっている

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE FCポルト 

(4−3−2−1)

○11
○9         ○10

○7         ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 エウトン
2 フレーシ
3 P.エマヌエル
4 B.アウベス
5 ボジングワ
6 P.アスンソン
7 メイレレス
8 L.ゴンザレス
9 クアレスマ
10 セクティウィ
11 L.ロペス
監督 フェレイラ

07-08シーズンのCLを見ていると、いよいよシステムはひとつの形に決まってきた印象がある
・まず最終ラインは4バック、そして中盤に同じく4人セットの防御ライン
 この2本のラインは確定的になってきている
  →あとは、2トップか1トップか、ディフェンスと中盤にフォアリベロを入れるか、トップの間に1トップ   下を起用するかだ
・2トップを並べた4-4-2はどうしても点が欲しいゲームに限定され、多くは1トップを採用している
  →つまり、1トップ+4人のライン×2が常態で、あとひとりを4人×2の間か、1トップの背後かという   選択肢が残るだけだ
・例えば、チェルシーバルセロナはMFとDFのラインの間にエクストラのひとりを置く
  →マケレレヤヤ・トゥーレ
・1トップ下を置くのはローマ

横幅を守るのに4人が適当なのは、すでに長い歴史の中で証明されている
・3人では少なく、5人は十分だが少々だぶつく
 つまり、4人×2の確定は、その2本のラインが支配するピッチの横幅×20メートルほどのゾーンを確実に、 かつ無駄なく守るための結論といっていい
  →そこで浮かび上がるのがウイングプレーヤーの重要性だ
・70年代までは花形ポジションだったウイングも、80年代に入ると減少の一途をたどり、ウイングバックとい う名のサイドバックが取って代わる
 さらに、ベッカムに代表されるクロッサーがサイドに現れる
・ところが、90年代から徐々に本格派のウイングが見直されはじめた
 21世紀になると運動量が豊富で守備の出来るドリブラーウインガーの発生で”市民権”を得るに至った
  →中盤の4人のラインで重要な守備ブロックを形成する以上、サイドプレーヤーにも当然守備力は求められ   るのだが、ただ守れるだけでもダメなのだ




MFが横並びである以上、パスコースは横には多くても縦には少ない
・前に1トップのみなら余計にそうなる
・せっかくボールを奪っても、前に人がいないのでカウンターが出来ない
 そこで現代のサイドプレーヤーは、自ら縦へ走って攻撃に”深さ”を作らなくてはならない
 中盤でサポートについた味方へなるべく早くボールを預け、鋭いダッシュで敵陣へ入っていく必要がある
  →ただ、それすら難しい状況もある

FCポルトの場合、クアレスマのドリブルが閉塞状況を打開している
・彼はドリブルで縦へボールを運び、その間に味方が押し上げていく
  →多彩かつ奇想天外なトリックは、ウイングの名産地であるポルトガルならでは
・C.ロナウドやナニにも共通する資質である
 1トップにドロクバやトッティのいないチームは、ボールの預けどころがないので、特にサイドプレーヤーが 前にボールを運べるかどうかは死活問題になるのだが、その点でポルトガルは人材が豊富なのだ

ポルトガルのサッカーはちょっと遅れているところがある
・それゆえに伝統的なウイングプレーヤーが根絶やしにならなかった
・伝統的なテクニックやドリブルの上手さが、現代サッカーの要請に思わぬところで合致しているのが面白い

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE ASモナコ

(4−4−2)

○10  ○11

○8        ○9

○6  ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(03-04)

番号 選手名
1 ローマ
2 エヴラ
3 ロドリゲス
4 スキラチ
5 ジベ
6 ジコス
7 ベルナルディ
8 ロテン
9 ジュリ
10 ブルソ
11 モリエンテス
監督 デジャン

ディディエ・デシャン
2003年、モナコは経営破綻していた
・2部に降格するはずだったが、モナコ王子が乗り出して辛うじて1部に止まっている
  →モナコは王子のお抱えクラブといっていい

財政破綻で危うく降格しそうになったシーズン、モナコはクラブ史上初の快挙を成し遂げた
・CLのファイナルまで進出したのだ
レアル・マドリードを破り、チェルシーを下してファイナルへ進んだ
 決勝ではエースのジュリーが早々に負傷退場した不運もあり、モウリーニョ監督率いるFCポルトに敗れた
  →この時のモナコはカウンターのチームだった

フォーメーションは4-4-2か4-5-1で、手堅い守備から縦に早い攻めを得意としている
・エースは快足のジュリーで、CFかRMFに起用された
モナコの特徴のひとつは複数のポジションをこなせる選手が多かったことだ
 レアル・マドリードからのローンだったモリエンテスを除くと、ほぼ全員が複数のポジションをこなしている
  →選手数が少ない事情もあったとはいえ、デシャン監督流でもあった












デシャンの哲学は、彼が育った”ナント・スクール”とユベントス時代の監督だったリッピのミックスである
 ドゥサイー、マケレレなどを生んだナントは、育成機関に定評がある
  ・正確なショートパスと運動量をベースにした、いわゆる”人とボールが動くサッカー”の権威であった
  ・守っては相手ボールにプレッシャーをかけ続け、DFラインを高く保つ
   ボールを奪ったら前へ相手ゴールへのベクトルを維持したままカウンターを繰り出す
 一方、リッピの影響を受けているのは用兵術だ
  ・ユベントスは”寝技”の名手だった
   大量得点による勝利という幻想も持たず、常に接戦を制する用意の出来ている戦法なのだ
  ・試合は0-0で始まり、そのままイーブンか、どちらかが点をとって1点差で推移する時間帯が長い
   その接戦時の用意が出来ているのがユベントスであり、デシャンが色濃く受け継いでいる特質だった
  ・1点リードしていれば、選手交代をして守備的な戦術へシフトする
   逆に負けていれば攻撃型へ変える
    →ここまでは、どんな監督でも用意する
  ・しかし、例えば守備型へシフトしたが同点に追いつかれ、再び攻撃型へ戻したいケースもある
   攻撃型にして逆転に成功し、残りの時間を逃げ切りたい場面も出てくる
    →その時の用意まで出来ていれば、接戦に強いチームになる

デシャンが選手のマルチ・ロールを重視するのはこのためだ
・例えば、モリエンテスとジェリーの2トップでスタートしたが1点をリードされた
 攻撃を強化するために、アデバヨールをFWに起用し、ジェリーをRMFへ下げる
  →攻撃力を増して逆転に成功したとする
・問題はこの後だ
 モリエンテスを下げて守備型のMFを投入すれば4-5-1となって守備を強化できる
 そのまま逃げ切るなら、さらにジェリーに変えてMFを起用して試合を終わらせる
 もし、再び攻撃したいならジェリーをFWに上げて攻撃型のMFを投入する
  →この流れが可能なのは、ジェリーがFWとMFの両方をこなせることが前提だ
   デシャンは、ポリバレントな選手を複数用意して、試合中に攻守両面で対応力のあるチームを作っていた

もうひとつ、デシャンらしいのはダイレクトプレーの使い方だ
モナコの心臓部であるボランチにはベルナルディジコスを重用した
 →ともに運動量が豊富でボール奪取能力に秀でている
・このふたりのところでボールを奪うケースが多いのだが、その時に間髪入れずに相手ディフェンスラインの裏 へ蹴って、縦1本でジュリーが抜け出す得点パターンを得意としていた
  →CLのグループリーグでラコルーニャに8ゴールを叩き込んだ試合では、このダイレクトプレーが効いた






攻撃のアプローチとしては、これ以上ないほど単純
 だが、そこに目をつけたのは守備的なMFとして一時代を築いたデシャンらしい
  ・現在、多くチームがフラットラインを採用している
  ・ボールにプレッシャがかかっていればディフェンスラインを押し上げ、かかっていなければ下げて裏への   パスを消す
 どのチームもやっているラインコントロールだが、これには泣き所がある
  ・中盤で攻守が入れ替わった瞬間、ディフェンスラインはほとんど反応できない
  ・特にこぼれ球に関しては、上げるか下げるかの判断に難しい
   ラインはフリーズされてしまう
    →モナコはその瞬間を狙っていた
  ・ベルナルディは、奪ったボールやこぼれ球をワンタッチで裏へ落とすパスが得意で、スタートダッシュが   並はずれて早いジェリーが敏感に反応している
  ・デシャンは若い監督だったが、選手時代から”監督”をやってるようなリーダータイプで、選手としての   経験を監督としても活用していた
   また、現役時代が近かったので、現代サッカーの特徴を的確に把握していた
    →現役を退いて10年も経てばサッカーは変わっている
     ダイレクトプレーの活用は、つい最近までピッチにいた若い監督の強みが表れていたように思う

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE リヨン 

(4−3−3)

○11
○9         ○10

○7     ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(05-06)

番号 選手名
1 クーペ
2 アビダル
3 カサッパ
4 クリス
5 レベイレール
6 ディアラ
7 ジュニーニョ
8 アゴ
9 マルダ
10 ヴィルトール
11 フレッヂ
監督 ウリエ

◇チームの特徴
基本:丁寧にパスをつなぐポゼッションサッカー
・パスワーク重視の攻撃サッカーor守備重視のカウンターサッカー
 →ウイングプレイヤーの可動拡の広さのおかげで、どちらのシステムも使える
・守備時には4-1-4-1になる
 →両ウイングは、中盤に引いてMFとして4人による守備ラインに加わる
  また、さらに攻め込まれたらSBと連携して深く引く

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE PSV

(4−3−2−1)

○11
○9         ○10

○7      ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(04-05)

番号 選手名
1 ゴメス
2 イ・ヨンビョ
3 ボウマ
4 アレックス
5 オーイエル
6 コクー
7 フォーゲル
8 ファン・ボメル
9 ファルファン
10 パク・チソン
11 フェネゴール
監督 フース・ヒディンク

◇運動量を最大限に生かした”弱者”のスタイル
1988年にベンフィカを下してヨーロッパチャンピオンにもなっている
・当時のPSVにはクーマン、ゲレツ、ブロイケレンなど名選手がいて、ブラジル人のロマーリオもいた
・最近で興味深いのは、04-05シーズンのCLで準決勝まで進んだチームだ
  →ビッグイヤーを獲得した時と同じ監督、フース・ヒディンクが率いている
・2試合の合計が3-3、アウェーゴール差でミランに敗れたものの、CLでは低予算クラブであるPSVとして は大健闘といっていい
  →ビッグスターなど誰もいないに、PSVがそこまで勝ち上がれた要因はなんだったのだろう

フォーメーションは4-3-2-1
 ゾーンの4バックの前に、3人のハードワーカーを置く
  ・この3人の攻守にわたる動きがベースだった
  ・フォーゲル、ファン・ボメル、コクーの3人は守備が強く、パスワークも悪くない
  ・中でもベテランのコクーは、CFからCBまでこなすマルチプレーヤーで、彼の戦術眼が果たした役割は   大きかった
 この3人のハードワーカーの前にいるのが、パク・チソンファルファン
  ・このふたりも実はハードワーカーに近い
  ・同じ4-3-2-1でも、ミランの”クリスマス・ツリー”とは違っていて、ウイングが引いた形の4-3-3    パク・チソンファルファンに求められるのは、守備時には深く引いてDMFやSBを助け、攻撃時には   長い距離を走りながら1トップをサポートする仕事である
    →チーム全体のファンクションは、モウリーニョが率いていたチェルシーと同じと考えていいだろう
 ピッチの中央は、CBのアレックス、ボウマと3人のボランチが占め、フィジカルコンタクトに強い彼らがス ペースと相手を潰す
  ・サイドには運動量の豊富なSBとWGをセットし、走力を生かして攻め込む
   韓国代表のLSBのイ・ヨンビョも運動量が抜群だった
    →右のパク・チソンと共に、韓国式ノンストップ・サッカーをPSVに移植したのはヒディンク監督の     慧眼だったと思う