CHAPTER4|OTHER LEAGUSE レバークーゼン

(4−2−3−1)

○11

○9          ○10
○8
○6  ○7
○4          ○5
○2  ○3

○1

メンバー表(01-02)

番号 選手名
1 ブット
2 ノボトニー
3 ルシオ
4 ブラセンテ
5 ズレスデン
6 バラック
7 ラメロウ
8 バシュトゥルク
9 ゼ・ロベルト
10 シュナイダー
11 ノイビル
監督 トップメラー

◇ドイツの亜流、変則4バックの攻撃サッカー
ドイツの古豪レバークーゼンの躍進を語る上で欠かせないのが、クリストフ・ダウムの存在だ
・プロ経験はないが指導者として卓越した手腕を発揮し、FCケルンでブンデスリーガ準優勝を2度経験    91-92シーズンにはシュツットガルトブンデスリーガ優勝の栄光を手にしている

そんなドイツ若手監督の旗手がレバークーゼンの監督に就任したのが、96-97シーズン
・以来、ブンデスリーガ2位、3位、2位と、常に優勝争いを演じながらも勝ち切れないシーズンが続いた
・ダウムがコカイン使用の薬物疑惑で更迭されると、チームは迷走
  →トップメラーは、そんな中でレバークーゼンに迎えられた

◇近代ドイツサッカーのふたつの潮流
90年代のドイツサッカーは、「2ストッパー+1リベロ」の旧態依然とした3バックが体制派だった
・ヨーロッパの中でもドイツやイタリアは「マンツーマンディフェンス」を継続して採用してきた国
 イタリアは80年代後半のサッキ・ミランの登場で「ゾーンディフェンス」に移行していく
  →だが、90年代のドイツはマンツーマンとゾーンの間で揺れ動くことになる

マンツーマンディフェンスを主体とするベテラン監督に対して、若手の理論派は4バックのゾーンディフェンス導入に積極的だった
・迷走の象徴は、ルディ・フェラーが率いたEURO2004のドイツ代表だ
  →予選は4バックで戦いながら、本大会では初戦は4バック、2戦目以降は3バックに回帰するというドタ   バタ劇の末に、グループリーグ敗退という屈辱の結果に終わった
・結局このせめぎ合いは、ラインコントロールを重視した現代的な4バックを採用したクリンスマンが、06年 ドイツW杯で大きな成功を収めるまで続くことになる
ダウムは、改革派の若手監督の旗手だった
・今までのドイツサッカーとは一線を画したショートパスを繋ぐパスサッカーを志向
  →のちにヨーロッパでも異端の攻撃サッカーといわれたレバークーゼンのスタイルは、ダウムの時代が土台   になっている

01-02シーズンにレバークーゼンの監督に就任したトップメラーも、ダウム同様の改革派だった
・そんなトップメラーが目指したのは、新しいスタイルに従来のドイツサッカーの長所を組み込むことだった
  →基本は4バックだが、両サイドバックのブラセンテとズレスデンが非常に高い位置をとることが特徴で、   彼らが上がった際はボランチラメロウが下がって3バックになる
・前線からの激しいプレッシングやそれと連動した細かいラインコントロールは現代サッカーのそれであり、
 このチームのベースは明らかにダウム時代から築いてきた改革派の流れを汲むものだ
  →そこに身体が強く、マンマーク力も高いドイツ的なタレントであるラメロウを組み込むことで、ふたつの   スタイルの融合を目指したのである

◇トップメラーの変則4バック
リベロの位置にゲームメーカーを置くのはドイツのお家芸になっているが、そのリベロを一列前に置いたフォアリベロ(前に出たリベロ)も戦術的なバリエーションのひとつだった
 →トップメラーはそれを応用して、変則4バックのメカニズムを作り上げたのである

実はこのシステムは、94年アメリカW杯でブラジル代表のパレイラが採用したシステムに酷似している
・守備的な第一ボランチ(プリメイロ・ボランチ)がDFラインに下がって、攻撃的な両SBを押し上げる
 以降、この方法はブラジルサッカー界で一般的になった
  →ドイツ的なフォアリベロはブラジルで花開き、そして再びドイツに戻ってきたのである

このシステムの利点はフォアリベロが守備のバランスをとる事で、攻撃的な選手を多数共存させられる事にある
 当時のレバークーゼン
  ・前述した両SBのふたり、そして中盤にもバシュトゥルク、バラックゼ・ロベルトといった高い技術を   持った選手を並べていた
 通常は4-2-3-1だが、攻撃時は3-6-1に変形
  ・6人という極端に人数をかけた中盤が、攻撃時はショートパスの繋ぎ役として、そしてボールを奪われた   直後の守備時には高密度のプレッシング要員として機能していた
    →加えて、1トップのノボトニーはムービング型のFWで、中盤の人数は実質7人に近かった

<01-02シーズン>
この異端の攻撃サッカーはヨーロッパの舞台で旋風を巻き起こし、冒頭のCL決勝まで駒を進めた
・翌シーズン、バラックゼ・ロベルトといった主力をバイエルンに引き抜かれたこともあり、チームは迷走
  →トップメラーは解任され、アウゲンターラー監督時代にCLでレアル・マドリードを破るなど一瞬の輝き   は見せたものの、その後はブンデスリーガの中位を彷徨っている