CHAPTER4|OTHER LEAGUSE アヤックス
(3−4−3) ○11 ○9 ○10 ○8 ○6 ○7 ○5 ○2 ○3 ○4 ○1
メンバー表(94-95)
番号 | 選手名 |
---|---|
1 | ファン・デル・サール |
2 | F.デブール |
3 | ブリント |
4 | レイツィハー |
5 | ライカールト |
6 | ダービッツ |
7 | セードルフ |
8 | リトマネン |
9 | フィニディ |
10 | オーフェルマウス |
11 | R.デブール |
監督 | ルイス・ファンハール |
90年代に2度目の黄金時代を迎えた
・監督はルイス・ファンハール、テクニカルディレクターにコ・アドリアーンセというコンビ
クライフ監督時代に導入した攻撃的な3-4-3システムがトレードマークだった
→この3-4-3はクライフがバルセロナの監督に就任すると、そこでも同じシステムで”ドリームチーム”の 時代を築いている
・ただ、3-4-3はやや特殊なシステムで、アヤックスとオランダ代表、バルセロナが有名だが、その他のチーム に成功例は少なく、その点であまり普及しなかった
90年代には、さまざまなシステムがあった
→主流は3-5-2と4-4-2、4-3-2-1、4-2-3-1など、最もバリエーションの豊富な時期だったかもしれない
3-4-3の特徴
形成されるトライアングルの多さである
・縦に菱形が3つ並ぶ陣形は、12個のトライアングルが用意されていて、その中で1タッチ、2タッチのパ スを回していく
・また、トライアングルの間でボールがリレーされるため、ボールポゼッションを最大限に活用できるとこ ろが長所だった
ウイングプレーヤーを両端に配したのもポイント
・幅広いボールポゼッションからタッチラインいっぱいに 開いたウイングの突破を活用する
→2トップ全盛の時代にくさびを打ち込んだシステムでもあった
◇ダイヤモンド型の4バック
アヤックスの3-4-3は、マンマークに近い守備を行っていた
・完全なマンマークではないが、いわゆるフラットバック・システムではない
→3バックといっても、トルシエ前監督が日本代表に導入したフラット3とは守備のメカニズムがまったく 違っているのだ
マンマーク方式の特徴はリベロの存在である
・人についているので、抜かれたりかわされたり、ノーマークの相手が攻め込んできた時にカバーリングを行う 選手が必要で、それがリベロの主な役割だ
→アヤックスの場合、ブリントがリベロだった
・相手FWが2トップのケースでは、2ストッパー+リベロで問題なく対応できる
→サイドにMFやウイングバックが進出してくる場合は、アヤックスのサイドMFがサイドバック的に対応 できるので、ここでも中央の人数はリベロが余る形で大きな問題は生じない
問題は3トップへの対応だ
・3人のFWに3人のDFがマンマークすれば、リベロが存在しないことになる
・2トップでも、ひとりがサイドに開いて1対1でアヤックスのDFを抜けば、リベロが対応する事になるので、 ゴール前にはDFがひとりしかいない状態になる
→ペナルティーエリア内で2対2ならともかく、1対1ではスペースが大きいので守備側にとっては望まし い状態ではない
しかし、実際には3トップ対応でもアヤックスの守備が混乱することは少なかった
・実はリベロがもうひとりいたからだ
・クライフはグアルディオラのポジションを「センターバック」と呼ぶことがあった
バルセロナの3-4-3で、グアルディオラのポジション「4」の底である
つまり、3-4-3という人の並びでポジションを区分けをすれば、グアルディオラはMFになるはずだ
→これはイングランドでセンターバックを「センターハーフ」と呼ぶのと同じなのだと思う
アーセナルのチャップマン監督がWMシステムを始めた時、従来の2バックから3バックに変更している
・その時にMFからDFに下げた選手は背番号5、つまり2バックシステムではセンターハーフだった
・そういう由来があって、イングランドの古株の記者などは、いまだにCBをCMF(センターハーフ)と呼ぶ 人もいるぐらいだ
・クライフが3-4-3の中盤の底の選手を「センターバック」と呼ぶのは、イングランドとは別のパターンだと推 測できる
→3-4-3のセンターハーフは、4-3-3のセンターバックを上げたポジションだからだ
トータルフットボールの象徴となった74年西ドイツW杯のオランダ代表は4-3-3、リベロはハーンだった
・ハーンはMFで、代表ではリベロの正選手が故障したためにDFとしてプレーしたのだが、ポジショニングは センターバックでコンビを組むレイスベルヘンの前方にいることが少なくなかった
→当時のオランダが縦にマークを受け渡していく前進守備を採用していた事、ハーンに展開力があって攻撃 時には中盤の底で組み立てに入ることによる
・この前方のリベロが3-4-3の「4」の底であり、上がった「センターバック」なのである
アヤックスでは、ライカールトがこのポジションの代表だった
・相手が3トップで、リベロのブリントがサイドに引き出された時には、ライカールトが最後尾に戻ってCBに なるのだ
システムはだが、EURO 1996のイングランドがよく似たカバーリングを行なっている
・3バックはネビル、アダムズ、ピアース
・3-5-2の両翼はマクナマナンとアンダートンで、MFまたはウイングプレーヤーとして高い位置をとっていた
そのため、ウイングバックの裏をつかれるとネビル、ピアースがサイドへ引き出されてしまう
→中央のDFは2枚だ
・通常は逆サイドのWBが最終ラインまで戻ってくるのだが、この時のイングランドはMFのインスが最終ラ インに引いて、ゴール前の人数を3枚にしていた
3バックの左右を務めたネビルとピアースは、元々SBのタイプでスペードと1対1の対応力に優れる
・彼らがサイドのカバーに走った時のセンターは、空中に強いアダムズとインス
→インスは”中盤にいるセンターバック”で、アヤックスにおけるライカールトと似た役割であった
ライカールトとブリントは縦に並んだふたりのリベロで、センターバックだった
・ただ、攻撃時にライカールトは中盤の底でパスワークの軸となっていたから、攻守両面で貢献をしていたこ
・足下の上手さはブリントも同様で、ほかのDFもボールコントロールが上手い
・ブリント以外のDFを便宜上ストッパーと書いてしまったが、アヤックスのDFは頑健で相手の攻撃を跳ね返 すタイプではなく、リベロやサイドバックのようなタイプが起用されていた