CHAPTER3|LIGA ESPANOLA R.マドリード

(4−4−2)

○10   ○11

○8       ○9
  
○6     ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(01-02)

番号 選手名
1 カシージャス
2 R.カルロス
3 パボン
4 イエロ
5 M.サルガド
6 エルゲラ
7 マケレレ
8 ジダン
9 フィーゴ
10 ラウール
11 モリエンテス
監督 デル・ボスケ

アーセナルとの違い
このクラブの特筆すべき点は「勝つだけでは意味がない」と建前ではなく本気で思っていることだ
・実際にカペッロは国内リーグを制したにもかかわらず、「サッカーの内容がR.マドリードに相応しくない」 という理由で、2度にわたって解任されている
・「世界のサッカーの模範になるR.マドリードが、守備的なサッカーをすればサッカー界のマイナスになる」
→ライバルのバルセロナにも同じ事がいえるが、高慢までに理想を追求する姿勢がクラブとしての「格」に つながっている

興味深いのは、同じく攻撃サッカーを旗印に掲げているアーセナルとの違いだ
 ベンゲル就任後、エンターテインメント性の高いパスサッカーを志向してきたプレミアリーグの名門
  ・今では一種のブランドとして確立している
・07-08シーズンは、往年のトータルフットボールを彷彿とさせる未来的なサッカーを披露し、ヨーロッパ 最高のクオリティと評価された
 だが、そのシーズンオフに、セスクとのコンビで中盤の核となっていたフラミニがACミランへ移籍
  ・フレブはバルセロナに引き抜かれた
・なぜ、クラブの未来を担うべき逸材がこうもあっさりチームを去ってしまうのか?
→その理由はアーセナルには選手をつなぎ止めるプラスアルファの魅力がないからだろう

若手の青田買いや30歳以上の選手は1年契約を義務づけるなど、徹底した合理化を推し進めるアーセナル
・ビジネスの観点ではまったく正しいが、逆にいえば選手にとってもクラブとの関係はビジネスに過ぎない
  →これはサッカーだけに限らないが、経営の効率化のみを追求してもトップには立てないという好例だろう

歴史あるクラブは、お金だけではないプラスアルファの価値を持っている
ミランは、ファミリー的なつながりを重視し安易に選手を切らない
マンチェスターUには、奇跡のチームという神話(”ミュンヘンの悲劇”からの復活、”カンプノウの奇跡”)
・R.マドリードにはステファノに代表されるその時代のNo1選手が在籍してきた伝統がある
 何十年もその状況が続けば、いつしか当然のように一流選手が集まるようになる
ビッグクラブ同士の勝負は、最後はタレント力の差に帰結する
・現状の戦力と照らし合わせてチームを作っていくのは確かに正論
 だが、このクラスのクラブになると、それだけではわずかに足りない
→取り合いになる一流選手を惹きつけるなにかが必要なのだ
・R.マドリードは監督の枠組みに選手を当てはめるのではなく、選手ありきのチームだ
 選手を尊重する伝統
→それがこのクラブのプラスアルファの魅力であり、アーセナルとの差でもある

◇素材を生かす名人、デル・ボスケ
”選手ありき”の伝統を持つR.マドリードの監督には、素材を生かす能力が求められる
・与えられた超一流の食材の良さをいかに損なわずに調理するのか
 寿司屋の板前に近いイメージだろうか
→近年の監督の中でそれが特筆して上手かったのが、デル・ボスケだった

デル・ボスケは、R.マドリード.カスティージャ(Bチーム)の監督を務める傍ら、トップチームの監督が解任された後の”つなぎの監督”を任される便利屋だった
・1999年、トシャック解任後に晴れて正式な監督に就任すると、4シーズンでCL優勝2回、リーグ優勝2回、 トヨタカップ優勝1回の偉業を達成し、R.マドリードは黄金期を迎えることになる

ボールを持ったらだれにも奪われないジダン、WGとSBを兼ね備える脅威の攻撃力を持つロベルト・カルロス、驚異的な突破力とキープ力を併せ持つフィーゴ、そして二人分の守備力を備えたマケレレ
 →デル・ボスケは、他にはない個性を持つ選手の特徴を、有機的に絡めることに成功した

当時のR.マドリードのスタイル
・ひと言で表すと、卓越したボールキープ力を背景にした流動的なパスサッカー
ジダンフィーゴのキープ力を生かして各選手が縦横無尽に動き回る
  →方向性としては、「接近・展開・連続」をコンセプトに掲げている岡田監督率いる日本代表に近い

密集した中央エリアのパスワークに拘泥する日本代表と違って、R.マドリードはサイド攻撃も強烈だった
・右はフィーゴ、左はロベルト・カルロス
 1対1で突破できる強力なサイドプレイヤーがいるからこそ、中央でのパスワークがより生きてくる
・特に左サイドのメカニズムは独特だ
  →LMFのジダンが中央寄りにプレーするので、LSBのロベルト・カルロスはマイボール時にはLWGのよ   うなポジションをとる左右非対称の変則布陣である
・これは選手ひとりひとりのキープ力の賜物だ
→ボールを奪われる回数が少ないので、遠慮なく形を崩すことができる




同じくポジションを崩した流動的なパスサッカーを志向する日本代表
 ・狭いエリアでのパス交換を引き出すために、選手同士の距離を近づけることを意識している
・そして、守備時はそれを利用して囲い込みを行う攻守が一体となったサッカー
一方、当時のR.マドリード
 ・DFラインをあえて低い位置に保つことで、広いエリアで1対1の強さを生かす狙い
ポジションチェンジはするが、選手同士の距離は日本代表ほど詰まっていない
・守備のコンセプトは、ボールポゼッションを高めて守備機会を減らすこと
両チームの目指す方向性は間違いなく似ているが、それを実現する手段がここまで対照的なのは興味深い

クラブの内情を知り尽くし、選手からの信頼も厚かったデル・ボスケ
・本来は戦術家だったといわれているが、R.マドリードでの仕事はもっぱら調整役だった
・戦術家と呼ばれる監督が好むトップダウン型の戦術は、「平均的な選手」を想定して組み立てられている
だからこそ、たとえ誰かが欠けても穴埋めが利く、いわば質の高い量産品のサッカーといえる

デル・ボスケのR.マドリードは選手の個性を追求したオーダーメイドのチームだった
・ひとりでも欠けるとチーム力はガタ落ちするが、その分強力なチームが作れる
デル・ボスケは個性を組み合わせる名人で、ジダンの攻撃力をマケレレが引き出すという具合に、それぞれが 補完し合う関係が出来上がっていた  
・苦手なことをやらせなかったせいか、不思議と怪我人も少なかった

現在のビッグクラブのトレンドは、明らかにこちらだ
・組織的な守備というベースは共通しているが、攻撃はタレントの個性に依存している
・中心選手が代わればチームも変わる
 だが、変わったチームは、控え選手の個性を生かした遜色ないチームに仕上げられる
  →それがビッグクラブの主流だ

◇失われるネバーランド
選手を尊重するのがR.アドリードのチームカラー
・だが、「銀河系軍団」と呼ばれた時代は少々それが行き過ぎてしまった感がある
・ターニングポイントは、デル・ボスケの解任と同時にマケレレを放出し、ベッカムを獲得した03-04シーズン
→以降、攻撃と守備のバランスが崩壊したR.アドリードは、しばらく迷走を続けることになる

結局、リーガ・エスパニョーラの覇権奪還はカペッロが就任した06-07シーズンまで待たなければならなかった
 この頃からR.アドリードは、少しずつ体質を変えつつある
・今までのような脂の乗り切ったスター選手ではなく、ガゴやイグアイン、マルセロなど「未来のスター」 を積極的に獲得するようになった
・同時にチーム作りの方法論も従来のように、まず良い選手を集めてからそれを組み合わせる形ではなく、   監督の戦術に選手を当てはめる方向にシフトしている

CHAPTER3|LIGA ESPANOLA

リーガ・エスパニョーラの傾向*
スペインはヨーロッパの中では国土が広く、地方色が豊かだ
バスクやカタランなど、独立を望んでいる地方もある
気候、風土、習慣も違うので、それがチームカラーの違いにもなっているが、共通するのはテクニックが高く、 パスワークを重視すること  
・これもクラブによってかなり差があるとはいえ、スペインリーグの特徴をひと言で表すなら、パスワーク主体 の攻撃的サッカーということになる

人気、戦力、資金力のいずれの面でもR.マドリードバルセロナの2強が突出している
・そのため、ほかに新興勢力が現れても長くは続かない
  →2強の牙城を崩すのは不可能だから、”育てて売る”という方針で割り切っている中小クラブが多い

戦術的には、2強とその他を分けて考えた方がいいだろう
・R.マドリードバルセロナのプレースタイルは微妙に違う
  →だが、どちらも超がつくほど攻撃的という点では同じである
・2強が激突するスペイン・ダービーなど、いくつかの試合を除けば、ほぼ格下との戦いだ
・ホームゲームの場合は、最初から相手は深く引きこもった守備的な戦法をとってくるケースが多い
  →そのため、2強は攻めっぱなしになる
・国内戦だけを考えれば、あまり守備を考える必要がない
  →いかに攻めて点を取るかが焦点になる

マンチェスターUと世界一のリッチクラブの座を争うR.マドリードは、常に時代のスターを擁してきた
 ただ、これもマンチェスターUと共通していて戦術的にはオーソドックスである
  ・テクニシャンを並べたスターチームではあるが、染みついたウイニング・メンタリティーが大きな特徴
  ・また、MFよりもFW重視の傾向がある
 80年代にはブトラゲーニョとサンチェスが猛威をふるい、現在はファンニステルローイとラウール
  →華麗な攻撃サッカーでありながら、意外と泥臭く勝っている

一方のバルセロナは、R.マドリードに比べると戦術が際立つ
 エレラ、ミケルス、メノッティなど、その時代の名監督を招聘してきた
  ・選手は有名だが監督の影が薄いことも多いR.マドリードよりも、戦術が前面に出る
 現在のプレースタイルが決定したのは、4連覇を果たしたクライフ監督の”ドリームチーム”
  ・これ以降のバルセロナの戦術はオランダ式
  ・3トップを起用してサイドを幅広く使い、グランダーのパスをつなぐ
  ・中盤のパスワークがバルセロナの大きな特徴だ
    →戦術よりも、スターの個人技や勝利への執念が目立つR.マドリードとは、この点でやや違っている



この2強に対抗するために、他のチームは守備重視にならざるを得ない
 だが、上位チーム以外はカウンターアタックに徹するようにはならず、それなりに攻撃的なのがスペイン風
・ショートパスをつなぎながらサイドへ展開する形が多く、セリエAプレミアリーグよりもドリブラーの 活躍する余地がある
・スターはいなくても、機動性の高いパスサッカーで2強に迫る存在は代わる代わる現れていて、
 ラコルーニャ、R.ソシエダ、ヴィーゴが健闘したが、その後に下落した
  →現在はセビージャとビジャレアルがリーグを盛り上げるスパイスになっている
・2強に次ぐ資金力を持つ第3勢力であるバレンシア、A.マドリードも虎視眈々とチャンスをうかがって いるという情勢だ

CHAPTER2|SERIEA ウディネーゼ

(3−4−3)

○11
○9          ○10

○7          ○8
○5   ○6

○2   ○3   ○4

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 ハンダノビッチ
2 ルコビッチ
3 フェリペ
4 サバタ
5 インラー
6 タゴスティー
7 ドッセーナ
8 メスト
9 ディ・ナターレ
10 ぺぺ
11 クアリアレッラ
監督 マリーノ

◇システムの希少性を利用したカウンター
・90年代にバルセロナアヤックスが採用していた3-4-3は中盤の並びがダイヤモンド型だった
 だが、ウディネーゼの中盤はダブルボランチと左右のサイドハーフで構成されている
・戦術的なコンセプトも異なる
 前者2チームは攻撃的チームの極北のようなチームだったが、ウディネーゼはカウンターチームだ
・興味深いのは、この布陣の利用方法の違い
 従来の3-4-3はボールポゼッションが前提で、相手に合わせるのでは自分たちのやり方を貫くためのシステム・一方、ウディネーゼの狙いは対照的だ
 4バック全盛の現在、この布陣が持つ希少性を相手チームとの駆け引きに利用しているのである
・それが顕著に表れるのが、カウンターの場面だ
 攻守が切り替わった瞬間、相手チームは3-4-3という慣れない並びへの対応でマークがずれることが多い
 それを利用してウディネーゼは一気に敵陣内までボールを持ち込む

2007年12月に行われたカターニャとのアウェーゲーム
ウディネーゼは開始直後にカウンターから決定機をつかんでいる
・自陣で奪ったボールを素早く左サイドのドッセーナに展開
 そのまま前方に進出してクロスを上げ、ゴ−ル前に飛び込んできたクアリアレッラが頭で合わせた
→惜しくもゴールはならなかったものの、カターニャ守備陣を完全に崩した形だった

実はこのカウンターに秘密が隠されている
 →注目すべきは、カウンターの起点になったLMFのドッセーナがまったくのフリーだったこと

ウディネーゼの布陣は3-4-3 、カターニャは3センターハーフの4-3-3である
・注目は両チームのマッチマップだ
 通常、カターニャのSBはウディネーゼのWGをマークすることになり、実際そうしてた
  →だがそうすると、ウディネーゼのSMFのマークがガラ空きになる
ウディネーゼのカウンターは、このフリーとなったSMFと3トップの4人で仕掛けるパターンが基本
  →起点となるSMFがフリーなので、高確率でフィニッシュへとつなげている
ウディネーゼは、守備陣にボールと逆サイドのSMFがDFラインに吸収されるのではなく、中盤に残り中に 絞るという対応の行なっている
  →カウンターの第一歩を早くするための意図的な工夫だろう

つまり、なにも考えずに”普通”に対応してしまえば、必ず彼らの罠にはまってしまう
・中盤に特定のサイドプレイヤーがいない4-3-3とのマッチアップはこの現象が最もよく現れる一例
→例えば、SMFとSBを縦に並べた4-4-2や4-2-3-1でも結果は同じ
・攻撃時には多くの場合、片方のサイドプレイヤーは敵陣深くまで進入している
 もしも、そこからカウンターを受けた場合、自陣に残っている味方SBが3-4-3のWGをマークしてしまうと、 高い位置にいるSMFのマークは誰もいなくなってしまう

3-4-3のSMFは、4バックのSBよりもさらに縦方向の運動量が要求される難しい役割だが、基本ポジションが
高めに位置しているため、攻守が切り替わった瞬間にカウンターの起点になれる
・現在はドッセーナとメスト、過去にもヤンクロフスキといったタレントが、このポジションを務めてきた

◇マッチアップを巡る駆け引き
ウディネーゼのカウンターは一種の奇術のようなもので、ネタバレしてしまえば脆い部分がある
 前述したカターニャ
 ・時間の経過とともにカターニャは守備のやり方を変えてきた
・味方SBのマークをウディネーゼのWGからSMFに切り替えたのだ
・敵3トップのは残った3人のDFが、そのままスライドして対応
→すると今度は、ウディネーゼのカウンターがまったく機能しなくなった

とはいえ、これは例外的なケース
ウディネーゼはあえてマッチアップにズレを生じさせている
  →つまり、自ら仕掛けて毎回同じような状況を作っているので、このような駆け引きに慣れているし、その   対応方法もわかっている

現在4バックが圧倒的なシェアを占めているのは、なんといってもその安定性ゆえだ
・効率的にスペースを埋められて、機能させるのも容易
・一方、3バックはバランスをとるのが難しいぶん、高度なシステムといえる
  →そんな中、あえて3-4-3を貫き、しかもしっかり結果を残しているウディネーゼは興味深い存在だ

3-4-3は守備面のリスクが高い
・守備時は強制的にスライドして空いているスペースを埋めなければならないからだ
バルセロナアヤックスは、ボール支配によって守備機会そのものを減らそうとした)
・だが、ウディネーゼはそうしたリスクを反転させて、強みにしてしまった
・挑戦なくして発展はない
→こうした異端の戦術が、いつか主流を変えていくのかもしれない

CHAPTER2|SERIEA ローマ

(4−2−3−1)

○11
○8   ○9   ○10

○6     ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 ドーニ
2 トネット
3 ファン
4 メクセス
5 カッセッティ
6 ピサーロ
7 デ・ロッシ
8 マンシーニ
9 ペロッタ
10 タッディ
11 トッティ
監督 スパレッティ

◇「ゼロトップ」の可能性
サッカーの起源の段階では8人いたFWの数は徐々に減っていき、現代では1トップが主流になりつつある
・こうしたフォーメーションの変化を例に、サッカーは守備的になっていると指摘されることがあるが、ことは そう単純ではない(昔と今の最も大きな変化は、選手の運動量の増加にある)
・全員守備、全員攻撃、中盤や時にはDFまでもが攻撃に顔を出すようになったので、あらかじめ多くのFWを 前線に張らせておく必要がなくなったのだ
→「フォーメーション=戦術」だった昔と違って、現代サッカーにおけるFWの数はチームの攻撃性を表す  指標とは必ずしもいえなくなった

ローマは、そうした戦術史の流れを最も忠実に体現しているチームである
・基本フォーメーションは4-2-3-1
・本職のFWを置かないローマの基盤は、選手個々の運動量にある
・特に2列目の3人、ダッディ、ペロッタ、マンシーニの機動力は圧巻だ
・最前線のトッティが自由に動き回って空けたスペースに2列目の彼らが次々と侵入していく

通常、中盤が流動的に動き回るアクションサッカーは、ボールポゼッションが前提条件
・だが、ローマが画期的だったのは「ゼロトップ」を採用しながら、カウンターを基本戦術に捉えたことだ
・本当の武器はひたすら隠し、真に重要な場面で相手に突きつける
・洗練された戦術を持ち、なおかつ質の高い選手が揃っていれば、相手をねじ伏せたいと思うのが人間の心理
  →だが、そこをグッと我慢し勝負に徹することができる

当初はカウンター寄りのチームだった彼らも、最近はポゼッションの意識を強めている
・SBも積極的に上がるようになった
  →ローマの強力なカウンターを警戒して引いて守備を固めるチームが増えたので、次のステップに移行した
・その結果、カウンターもポゼッションもできるようになった柔軟性はローマの強みになっている
 あえて弱点を挙げるなら、その中間の適切なバランスをとれないことだろう
  →07-08シーズンは、前がかりになった時に裏をとられて失点するケースが目立った

◇「ゼロトップ」の両輪
ゼロトップの基本原理は単純である
・CFのトッティを中心に[スペースメイキング]→[フリーランニング]→[パス交換]を繰り返す
・一見すると誰でもマネできそうだが、彼らに続くチームはいまだ現れていない
  →なぜなら、このシステムにはクリアすべき重要なポイントが大きく分けてふたつあるからだ

(1)トッティは通常のCFの仕事も高いレベルでこなしている事
・持ち前の身体の強さで相手を背負っても問題なくボールキープでき、彼が前線でタメを作ることで後方選手の 押し上げを助けている
・しばしば誤解されることだが、ファンタジスタを最前線に置けば自動的に「ゼロトップ」になる訳ではない
  →それだけなら、あっさり潰されて終わりである
・よく前線でボールが収まらないと攻撃の流れができないといわれるが、それは「ゼロトップ」でも同様だ
  →基本的なCFの仕事をこなせる土台があるからこそ、はじめてファンタジスタとしてのプラスアルファが   生きてくる  
・特にトッティはDFライン裏へ飛び出すプレーも得意で、FWというカテゴリーで見てもレベルの高い選手

(2)チームとしてのオートマティズム
スパレッティウディネーゼ時代からパターン化したカウンターを得意とする戦術家だった
  →ただし、元代表監督のトルシエのように自分の型に選手をむりやり当てはめるのではなく、選手の特徴に   応じてシステムを組み立てている
・型を利用するのは両者共通だが、スパレッティは自分のストックにある型から最も今のチームに合っているも のを選び出すイメージ
  →ウディネーゼ時代の代名詞だった3-4-3から、ローマの監督就任後にあっさりと4-2-3-1にシステム変更   したのは、それをよく表している

型を持つことのメリット
・選手の動き方、パス回しのルートをマニュアル化することでプレーの速度を速め、ミスを減らせることにある
・一方、型を重視する指揮官は選手の個性を軽視する傾向があるが、スパレッティが単なる戦術マニアと一線を 画しているのは「戦術は選手の個性を効率的に引き出す道具でしかない」とわきまえているからだ
・ローマは各選手の得意なプレーを引き出すように選手の並びを工夫し、綿密にパターン攻撃が構築されている

1トップのトッティの仕事
 ・中盤まで引いてボールを受けてDFライン裏へパスを送るか、2列目のペロッタに落とすこと
ペロッタの役割
 ・そのトッティが引いたスペースへ飛び出すか、彼が落としたボールを拾ってDFライン裏へ送る
 ・または両サイドへ展開することである
2列目両サイドのタッディとマンシーニ
 ・DFライン裏への走り込みとフィニッシュの仕事が期待されてる
 ・右利きのマンシーニが左サイド、右利きだが強烈な左足シュートを持つタッディが右サイドに配置されてい  るのは、中へ切り込んでのシュートを引き出すため
以前はトッティはOMF、ペロッタはDMF、マンシーニはRWB(またはRSB)を務めることが多かった
スパレッティはこうしたポジションに対する先入観を捨てて「選手が具体的に何をできるのか?」を追求して システムを構築している
・選手個々のやるべき事がシンプルに整理されている
だからこそ、「ゼロトップ」という奇抜なシステムが、机上の空論で終わらずに機能しているのである

本来「ゼロトップ」は、「トッティ」と「オートマティズム」の両輪が揃わないと機能しないもの
・だが、オートマティズムがチーム全体に高いレベルで浸透しているローマ
  →マンシーニやペロッタが1トップを務めた時ですら、チームが崩れなかった
・もともとダイレクトパスを想定してコンビネーションが組み立てられているので、1トップの仕事はくさびの ボールをダイレクトえ落とせば、それで良かった
  →あとは2列目の選手がフォローしてくれる
・ただし、トッティが1トップを務める時と比べれば攻撃の選択肢や精度は大きく劣るが、少なくとも最低限の チームのメカニズムは保つことができる

トッティという異次元
「ゼロトップ」は、日本人が目指している「ボールと人が動くサッカー」を実現する装置としても興味深い
・実際、2007年のU-17 W杯に臨んだ城福監督率いる日本代表は、「ゼロトップ」のチームだった
・2トップの大塚、端戸と2列目の水沼、柿谷の前線4人が特定のポジションを決めずに流動的に動き回る ・だが、2006年のU-17アジア選手権を制したこのスタイルは、世界大会では限界を露呈した
 前線にボールが収まらないので全体を押し上げられず、攻撃に人数をかけられない
・城福監督はあえて日本人らしい小回りが利いてパスの上手い選手を集めたが、それが発揮できるのはボールを 支配してこそ  
→相手に押し込まれ自陣に釘付けにされては、せっかくの機動力も宝の持ち腐れである

アジリティ(俊敏性)や足下のテクニックに特化するという、日本人の長所を前面に押し出した選手選考、戦術コンセプトは興味深かった
・チームとしてのオートマティズムもあった
  →だが「ゼロトップ」を機能させるには、それだけでは足りなかった

ローマはトッティがいなくても「ゼロトップ」を機能させられると前述したが、それはあくまでも非常手段
・おそらく彼らほどの戦術理解度があっても、トッティ抜きでは数試合が限界のはずだ
プラニッチが1トップに入った時、戦術コンセプト的には「ゼロトップ」ではなくなっている

長期に「ゼロトップ」を成り立たせるには、トップ下でありながらCFの仕事もできるトッティの存在が不可欠
・90年代後半、イタリアでトップ下のポジションが絶滅危機に瀕した時にクローズアップされたのが「トップ  下でありながら点も取れる」トッティの存在だった
→今思えば彼の幅広い能力は、従来のポジションの枠に収まらないものだった

CHAPTER2|SERIEA ACミラン

(4−3−2ー1)

○11
○9   ○10

○7       ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1
	

メンバー表(03-04)

番号 選手名
1 ジーダ
2 パンカロ
3 マルディーニ
4 ネスタ
5 カフー
6 ピルロ
7 セードルフ
8 ガットゥーゾ
9 カカ
10 ルイ・コスタ
11 シェフチェンコ
監督 アンチェロッティ

◇サッキという突然変異
かつてイタリアでは、フルコートのマンツーマンディフェンスが主流だった
・後方にリベロを余らせた上で、敵を前線から順番に捕まえている
・攻撃は前線に残った2、3人によるカウンター頼り、俗にいう”カテナッチョ”である
→その流れを根底から覆したのが、サッキだった

イタリアサッカー史の文脈でいうなら、サッキの最大の功績は「ゾーンディフェンス」の導入にある
・古典的な「マンツーマンディフェンス」から、組織的な「ゾーンディフェンス」へ
 イタリアサッカー界は、サッキ以前と以後では大きく転換した

ゾーンディフェンスの起源は、19世紀後半のピラミッドシステムにまで遡る
・2-3-5のいわば2バックシステムだ
・その後、ヨーロッパではアーセナルのチャップマンが考案したWMシステムが長きにわたり主流を占めた
・当時の守備方法は、典型的なフルコートの「マンツーマンディフェンス」だった

一方、50年代頃から南米では2バックから派生したゾーンディフェンスの4バックシステムが登場
・ヨーロッパでも同じく50年代に「マジックマジャール」と呼ばれたハンガリー代表が、一部ゾーンディフェ ンスを採用し、その流れはイングランドソ連に受け継がれる
・だが、イタリアやドイツはマンツーマンをベースに独自の戦術を熟成させていき、結果も残していた
  →サッキは、そんなイタリアに突然表れた革命児だった

サッキの画期的だった点
・「ゾ−ンディフェンス」「プレッシング」「オフサイドトラップ」という今まで個別に存在していた概念を有機 的にリンクさせたこと
・フォーメーションはピッチを均等にカバーする「ゾーンディフェンス」の4-4-2
 果敢な「オフサイドトラップ」でフラットな4バックを押し上げてコンパクトなエリアを作り、そこで強烈な 「プレッシング」を仕掛ける
  
◇現代サッカーのパラドックス
サッキの改革に伴い、求められる選手の質も変化している
・当時危惧されていたのが、技術のある選手が淘汰され、技術はないが走れる選手が重宝されることだった
→これではサッカーがつまらなくなってしまう、というのがその根拠だった

確かにそうした面はあった
・特にサッキの影響が色濃かった頃のイタリアでは、猫も杓子も4-4-2を採用
・すべての選手に均等にタスクを割り当てることを基本にしたこのシステムでは、ファンタジスタの居場所はそ れこそセカンドトップくらいしかなかった
バッジョのように得点力があればまだしも、パサータイプの選手は居場所がなくなってしまったのである

革命的な出来事のあと、必要以上にそれに引きずられてしまうのは、サッカーに限らずよくあることだ
・そうした過渡期を経て、イタリアではゾーンディフェンスを受け継ぎながら、さまざまなフォーメーションを 採用する監督が現れるようになった
ラツィオローマを率いたゼーマンの4-3-3
 ザッケローニウディネーゼで開発したゾーンの3バックの3-4-3
 リッピもユベントスで時代に同じくゾーンの3バックの3-4-1-2
  →フォーメーションにバリエーションが生まれたことで多少は緩和されたが、ファンタジスタの受難は続く

ファンタジスタ本来の能力は、客観的に数値化できないものだ
・自らのワンプレー(ボールのないところでの動きを含む)が、敵や味方にどんな相互作用を与えるかを理解し、 数秒先のビジョンを描く=それが創造性である
  →そうした能力を持っている選手は特別であるがゆえに、勝負を決めるキーマンになった
・ところが、サッキ登場以後のサッカーでは選手の足切りラインが異常なまでに上がってしまった
  →身体の強さ、運動量、戦術理解度が前提条件
・それらを備えてはじめてゲームに参加できる
  →もともと稀有だった存在は時代の流れにはじかれ、さらに日の目を浴びにくくなった

プレッシング導入以後、トップ下の選手には当たり負けしない身体の強さが求められるようになった
・比較的プレッシャーが緩いサイドに関しても、タッチラインを何度も上下動できる運動量が必須条件
・身体が強くないトップ下はボールを受けられずゲームから消えてしまい、運動量が少ないサイドはチームに決 定的な穴を作ってしまう
・生き残ったのは、創造性と身体の強さを兼ね備えたジダントッティという稀有な例外だけ
  →勝つことを優先させれば、ファンタジスタが消えていったのは必然だった

サッキ以後のサッカーに対する識者たちの危惧
・技術の軽視がサッカーをつまらなくしているは、究極のパラドックス
 過去の現在のチームが戦ったら、おそらく後者が勝つだろう
  →だが、どちらが魅力かと問われれば答えはわからない
アンチェロッティの挑戦
ピルロは、まさにその犠牲者だった
・早くから才能を嘱望されながらビッグクラブではポジションを確保できず、伸び悩んでいた
ミラン加入後もテリム監督の1年目は完全な構想外

そんな彼に転機が訪れたのは、アンチェロッティが就任した02-03シーズンだった
・従来ならば潰し屋が入ることが多かった中盤の底のポジションに抜擢されると、相手のプレッシャーが少ない 位置で、水を得た魚のように躍動した
・質の高いボールハンドリングを生かして少ない手数で前を向き、攻撃の流れを作るショートパス、1発で相手 のDFラインを破るピンポイントのロングパスを駆使して、ミランの攻撃をリードした

このコンバートはピルロの直訴によってなされたもの
・だが、見逃されないのはアンチェロッティ独特の戦術コンセプト
  →可能な限り多くのファンタジスタをピッチ上で共存させる
   ピルロ以外にリバウドルイ・コスタセードルフの4人のファンタジスタを同時起用
・フォーメーションはのちに「クリスマスツリーシステム」と呼ばれる4-3-2-1だ
・サッキのミランが先鞭をつけた現代サッカー究極の命題に、当時のチームでプレーしていた愛弟子のアンチェ ロッティが真っ向から挑戦状を叩きつけたのである

ファンタジスタの共存を成り立たせる鍵は、攻守のバランスの取り方にあった
・通常、ファンタジスタを起用する場合、カバー役の守備的な選手とセットで使うことが多い
  →ジダンマケレレのコンビはその典型である
・だが、アンチェロッティはチーム戦術というマクロな視点から、現代サッカーでのファンタジスタ起用という 難問にアプローチした
  →ボールを支配することで守備機会そのものを減少させようと目論んだのである

イタリア人は、ボールポゼッションをもっとニュートラルに捉えている
 それ自体に優劣はなく、戦略の一種
  ・相手を引き出した方が点を取れる思えば躊躇なく放棄し、場合によっては時間稼ぎの道具にする
彼らは、相手の守備組織が整う前の攻撃=カウンターこそが最大の得点機だと考えている

アンチェロッティの攻守のバランスの取り方
・このイタリアのボールポゼッションに対する割り切った考え方を色濃く反映している
・パス技術の高いファンタジスタを同時起用することでボールポゼッションを高め、相手に攻めさせない
 ただし、パス回しは安全第一
  →スペースへのパスなどボールロストする確率の高いパスはなるべき控え、勝負パスは相手にボールを奪わ   れても問題ないエリアに限定する
・最大の武器はピルロのロングパスからのカウンターとセットプレー
 そして時折見せる天才たちによる即興の コンビプレー
  →ファンタジスタの能力を分解、再構築して、現代サッカーに適応させたのである
就任1年目
・CBタイプのカラーゼとシミッチをSBに起用しリスクを管理していた
  →だが、システムの成熟度が高まるにつれてカフーセルジーニョなどの攻撃的な顔ぶれに変化
※カカが加わりセリエA優勝、CL準優勝を果たした03-04シーズンが、強さのピークだったかもしれない

近年はレベルの高い相手と対戦する時
・攻撃時は4-3-2-1、守備時は4-4-1-1という可変型のシステムで攻守のバランスを取っている
  →当初のコンセプトは徐々に薄まっている

この現代サッカーを斜めから見たようなシニカルなスタイルをどう見るかは、評価が分かれるところだ
・起用されているメンバーを見て攻撃的という人もいるし、ダイナミズムの足りない内容に試合不満を覚える人 もいるだろう
  →ひとつ言えることは、アンチェロッティの発想の原点にあるのは「美しいサッカーをして勝つ」というビ   ッグクラブの名に恥じない崇高な目標である
・「勝つ」だけなら、ファンタジスタの同時起用という発想は絶対に出てこない
  →イタリア的なリアリズムでサッカーの究極の命題に挑んだ冒険的なチーム、それが彼らに対する正当な評   価だと思う

CHAPTER2|SERIEA ユベントス

(4−4−2)

○10  ○11


○6   ○7  ○8   ○9


○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 ブッフォン
2 モリナーロ
3 キエッリーニ
4 レグロッターリエ
5 グリゲラ
6 ネドベド
7 ザネッティ
8 ノチェリーノ
9 カモラネージ
10 デル・ピエーロ
11 トレゼゲ
監督 ラニエリ

◇オーソドックスなユベントス
セリエAで最も優勝回数が多いユベントス
・だが、UEFAチャンピオンズカップの時代も含めて、CLの頂点に立ったのは2回だけ
・最初に優勝した1985年の決勝は”ヘイゼルの悲劇”として知られているリバプール
  →プラティニのPKによる1−0だった   
・2度目の1996年は、全盛期のアヤックスと対戦してPK戦で勝っている
  →どちらも快勝ではない

歴代の監督
 →トラパットーニカペッロ、リッピなど、実績は抜群だが手堅い采配の勝利主義者が率いてきた

長期のリーグ戦では、弱い相手にとりこぼさず、強い相手には引き分けを狙うのが優勝の常道ともいわれている
 →ユベントスには安定感があり、僅差勝負にも強いという印象

ユベントスの戦術は、その時々のオーソドックスである
<80年代>
・82年W杯で優勝した主力メンバーである、ジェンティーレ、カブリーニ、シレアという鉄壁の守備陣
・ボニエクとバロンドールを3年連続で受賞したプラティニのタンデムが攻撃に推進力をを加えた
 最前線にはW杯得点王のロッシを擁した布陣だった
  →訓練されたタフなチームで、プラティニの華麗なプレーが華やかさを加えていたものの、戦術的な真新し   さはなかった

<90年代>
 ・スキラッチバッジョ、ビアリ、ラバネッリ、ピエーロといった強力なFWを補強しているが、基本的には  堅守速攻がトレードマーク
 ・90年代後半に在籍していたジダン
  プラティニの後継者ともいえる逸材だったが、地元での評価はプラティニよりも低い
   →ジダンはあまり得点しなかったからだ
セリエAに1シーズンで復帰した07-08シーズン、ユベントスは3位でフィニッシュ
・予算縮小で大きな補強もないまま、デル・ピエーロネドベドといったBを戦ったベテランを軸に手堅く勝ち 点を重ね、CL出場権を手にしたのはプラン通り
・セリエBで優勝を果たした気鋭の若手監督デジャンを更迭し、老練の苦労人であるラニエリ監督に指揮を執ら せたのも、結果的には正解だったといえそうだ
  →07-08シーズンのユベントスは、急速な改革よりも3位を確保する現実路線を採用していた

フォーメーションは4-4-2
・MFの左にネドネド、右にカモラネージ
  →ともにハードワーカーながら、クリエイティブなプレーもできる信頼の置ける仕事人である
・2トップはデル・ピエーロトレゼゲ
  →D.ピエーロは左から中央にかけて動きながらチャンスメーカーとなり、正確無比なシュート技術を持つ
   トレゼゲは、ペナルティエリア内でのワンタッチシュートが真骨頂のハンマーストライカータイプ

普通にやって普通に勝つ、それがユベントスらしいスタイルである
・国内リーグのほとんどの試合で戦力的に優位なのだから、冒険的な戦術を採るリスクを冒さず、新戦力の選手 でも対応しやすいオーソドックスなやり方で戦い、シーズンを通して安定した力を発揮すれば、十分に優勝圏 内には入れるのだ
・守備的・攻撃的といった色合いの違いはあっても、実は各国で最多優勝を数えるような名門クラブの大半が、 オーソドックスな戦術である
→ドイツのバイエルン・ミュンヘン
 イングランドマンチェスター・ユナイデットU、
 ポルトガルのFCポルトベンフィカ
 スペインのレアル・マドリード

こうしたオーソドックス・スタイルの強豪チーム
・重要なのは、戦術そのものよりもコンディションの維持やチームの結束である
・勝者のメンタルティーとシーズンを通しての安定感だ
  →ユベントスはこの点できめ細かいチームで、リッピ監督の時代はそうだった

01-02、02-03シーズンとセリエA連覇を果たしたリッピ監督のユベントスもオーソドックスだった
・フィジカル能力の高い選手を揃え、この時期から基本線となったプレッシングの掛け合いで負けない重量感を 持っていた
・リッピは大差勝利の幻想を持たず、僅差勝負を制するノウハウを考え抜いてた
・例えば、複数のポジションをこなせる選手を複数用意し、状況変化に強いマルチ対応のチームに仕上げている
→試合は必ず0-0で始まる
 その後、1点をリードするか、1点をリードされるか
 大半の時間帯は1点を巡る攻防だ


<たとえば、実際にこんなゲームがあった>
(1)ユベントスが1点をリードする
・70分を超えた時間帯で、カモラネージをアウトして、カモラネージのいたRMFに左のネドベドをスイッチ、 ネドベドのポジションにはLSBのザンブロッタを上げ、空いたLSBに守備の強いビリンデッリを入れた
・選手交代はカモラネージからビリンデッリだけだが、全体的には守備的にシフトしている
・複数のポジションができるネドベドザンブロッタがいるからこその戦術的シフトチェンジだ

マルチ対応はここからだ
(2)守備を強化したつもりが、同点にされてしまった
・ここで、再度攻撃型へシフトし直す
・今度はRSBをアウトしてビリンデッリを右へ回し、いったん中盤に上げたザンブロッタを再びLSBに戻す
 そして、攻撃的MFを投入する
・これで再びゴールを奪って勝ち越すと、残り5分は徹底した守備固めだ
 2トップのひとりをアウトしてストッパータイプのDFを入れ、フォーメーションを3-6-1にして相手のハイ クロスを跳ね返して逃げ切った

今ではCLの強豪のほとんどが、こうしたマルチ対応を用意している
 →90年代で最も効率的に行なって先鞭をつけたのがアヤックスとオランダだった

負けているからといって、次々にFWを投入して同点にしたまではいいが、残り時間を守る力がなくなって勝ち越されてしまう、守備固めに奔走したが同点にされて攻め手がない
 →ユベントスはそうした状況に陥らない準備のできているチームだった

<また別の試合での話>
ホームにシエナを迎えた日、デッレ・アルビは大雪に見舞われた
・試合前、シエナの選手はピッチに出てこない
 シエナから来た記者に聞くと「寒いからじゃないか」とのこと
ユベントスは全員がピッチに出て、降りしきる雪の中で黙々といつも通りウォーミングアップをしていた
・オレンジ色のボールでキックオフされたゲームで、ユベントスは格下相手でも決してリスクを冒さず、手を抜 かず、ロングボールを主体とした天候に合わせたプレーで押し切り、しっかりと勝ち点3を手に入れた
  →プレーの内容は大して見るべきものはなかったが、このクラブの強さを見せつけられた気がした

CHAPTER2|SERIEA インテル

(4−4−2)

○10    ○11

○9
○7        ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 J.セザール
2 マクスウェル
3 サムエル
4 コルトバ
5 マイコン
6 カンビアッソ
7 キブ
8 サネッティ
9 スタンゴビッチ
10 イブラヒモビッチ
11 クルス
監督 マンチーニ

◇11カ国の集合体と最大派閥のアルゼンチン
07-08シーズン、インテルの陣容は申し分ない
・どのポジションにもスターが揃い、バックアップの実力も遜色なし
 多彩な顔ぶれはこのクラブの伝統で、実に国際色が豊かである
・例えばDFの場合 
 コルトバ、リバス(コロンビア)
 サネッティ、サムエル、ブルディッソ(アルゼンチン)
 マイコン(ブラジル)
 マテラッティ(イタリア)
 キブ(ルーマニア
・4つのDFポジションで、すでに5つの国籍である
 チーム全体では11ヶ国の選手で構成されており、そのうちイタリア人は5人、ブラジル人も5人いる
 だが、最大派閥はアルゼンチンで7人が在籍している

イタリアとアルゼンチンの関係は古く、第1回のW杯の決勝に出場していたアルゼンチン代表選手4人は、第2回のW杯ではイタリア代表としてプレーし優勝している
・当時は国籍さえ変われば、前代表歴は問われなかった
 第1回大会の後、中心選手のモンティらがユベントスと契約してイタリアへ渡ったのだ
・選手の”引き抜き”を恐れたアルゼンチン協会は、ムッソリーニ政権下のイタリアで開催された第2回大会に は、1軍を送らなかった

オリウンディ(移民)=先祖の国であるイタリアへ渡ってイタリア人として活躍した選手たちのこと
・これは長くイタリアサッカーの伝統になっていく
・近年にも、多くのアルゼンチン人選手がイタリア国籍を手に入れたことで問題になったりしたが、もうずっと 昔からやっていたことなのだ   
・2006年ドイツW杯で優勝したメンバーのカモラネージ
→元アルゼンチン人の”オリウンディ”だった

当然の事ながら、プレースタイルもアルゼンチンの影響が出てくる
 →特徴のひとつが、「マイボールを簡単に放棄しない」ところだ

フォーメーションは4-4-2がベース
→だが、中盤をフラットに組んだりダイヤモンド型だったり、FWも1トップから3トップまで、人材が多士  済々なのでいろいろな組み合わせが可能

共通するのは個人レベルでのキープ力が抜群だということ
・スタンゴビッチやフィーゴら、誰もが安定したボールキープ力があって簡単に相手に奪われることがない
・もちろん、コレクティブな早いパスワークが主体になっているが、個人での”持ち出し”が必要な時は、それ をやれる人材に困らないのがインテルらしさにつながっている

例えば、SBとしてプレーする時ののサネッティが典型
・深い位置でボールを奪った後、彼はよくボールを前方へドリブルで持ち出していく
・これはテクニックとフィジカルコンタクトの強さがなければ出来ないプレーで、本来なら取り返されるリスク を恐れてロングボールで逃げておくところだ
 だが、サネッティは自陣深くからでも簡単にボ−ルを放棄したりせず、味方にパスをつなぐか、パスコースが なければ自らドリブルでボールを持ち出していく

DFでキープできて、MFでもキープできる
・現代のサッカーでボールをキープするには技術だけに頼るのでは難しく、フィジカルコンタクトをはねのける 強さが必要だが、インテルの選手はそこも強い
・こうしたボールスキルの高さとフィジカルコンタクトの強さを兼ね備えた特徴は、アルゼンチ人に似ている
 アルゼンチン人ではない選手も、なぜかアルゼンチン風なのが面白い

実力揃いのチームの中で、サネッティと並んで絶対的ともいえる存在がイブラヒモビッチである
・192センチの長身、ノーステップで強烈なシュートを打つパワフルなストライカ
・持ち味はボールテクニックだ
・スピードも突破力もあるのでカウンターアタックで生きるし、キープ力を生かしたターゲットプレーもできる
  →万能型のイブラヒモビッチを軸に、スピード抜群のD.スアソや、ハンマータイプのクレスポ、クルスと   組み合わせる事も出来る
   どんな局面でも中心になれる資質を持ったストライカーだ