CHAPTER4|OTHER LEAGUSE アヤックス

(3−4−3)

○11
○9       ○10
○8
○6       ○7
○5

○2    ○3    ○4

○1

メンバー表(94-95)

番号 選手名
1 ファン・デル・サール
2 F.デブール
3 ブリント
4 レイツィハー
5 ライカールト
6 ダービッツ
7 セードルフ
8 リトマネン
9 フィニディ
10 オーフェルマウス
11 R.デブール
監督 ルイス・ファンハール

90年代に2度目の黄金時代を迎えた
・監督はルイス・ファンハール、テクニカルディレクターにコ・アドリアーンセというコンビ
 クライフ監督時代に導入した攻撃的な3-4-3システムがトレードマークだった
  →この3-4-3はクライフがバルセロナの監督に就任すると、そこでも同じシステムで”ドリームチーム”の   時代を築いている
・ただ、3-4-3はやや特殊なシステムで、アヤックスとオランダ代表、バルセロナが有名だが、その他のチーム に成功例は少なく、その点であまり普及しなかった

90年代には、さまざまなシステムがあった
→主流は3-5-2と4-4-2、4-3-2-1、4-2-3-1など、最もバリエーションの豊富な時期だったかもしれない

3-4-3の特徴
 形成されるトライアングルの多さである
  ・縦に菱形が3つ並ぶ陣形は、12個のトライアングルが用意されていて、その中で1タッチ、2タッチのパ   スを回していく
  ・また、トライアングルの間でボールがリレーされるため、ボールポゼッションを最大限に活用できるとこ   ろが長所だった
 ウイングプレーヤーを両端に配したのもポイント
  ・幅広いボールポゼッションからタッチラインいっぱいに 開いたウイングの突破を活用する
  →2トップ全盛の時代にくさびを打ち込んだシステムでもあった

◇ダイヤモンド型の4バック
アヤックスの3-4-3は、マンマークに近い守備を行っていた
・完全なマンマークではないが、いわゆるフラットバック・システムではない
  →3バックといっても、トルシエ前監督が日本代表に導入したフラット3とは守備のメカニズムがまったく   違っているのだ


マンマーク方式の特徴はリベロの存在である
・人についているので、抜かれたりかわされたり、ノーマークの相手が攻め込んできた時にカバーリングを行う 選手が必要で、それがリベロの主な役割だ
  →アヤックスの場合、ブリントがリベロだった
・相手FWが2トップのケースでは、2ストッパー+リベロで問題なく対応できる
  →サイドにMFやウイングバックが進出してくる場合は、アヤックスのサイドMFがサイドバック的に対応   できるので、ここでも中央の人数はリベロが余る形で大きな問題は生じない

問題は3トップへの対応だ
・3人のFWに3人のDFがマンマークすれば、リベロが存在しないことになる
・2トップでも、ひとりがサイドに開いて1対1でアヤックスのDFを抜けば、リベロが対応する事になるので、 ゴール前にはDFがひとりしかいない状態になる
  →ペナルティーエリア内で2対2ならともかく、1対1ではスペースが大きいので守備側にとっては望まし   い状態ではない

しかし、実際には3トップ対応でもアヤックスの守備が混乱することは少なかった
・実はリベロがもうひとりいたからだ
・クライフはグアルディオラのポジションを「センターバック」と呼ぶことがあった
 バルセロナの3-4-3で、グアルディオラのポジション「4」の底である
 つまり、3-4-3という人の並びでポジションを区分けをすれば、グアルディオラはMFになるはずだ
  →これはイングランドセンターバックを「センターハーフ」と呼ぶのと同じなのだと思う

アーセナルのチャップマン監督がWMシステムを始めた時、従来の2バックから3バックに変更している
・その時にMFからDFに下げた選手は背番号5、つまり2バックシステムではセンターハーフだった
・そういう由来があって、イングランドの古株の記者などは、いまだにCBをCMF(センターハーフ)と呼ぶ 人もいるぐらいだ
・クライフが3-4-3の中盤の底の選手を「センターバック」と呼ぶのは、イングランドとは別のパターンだと推 測できる
  →3-4-3のセンターハーフは、4-3-3のセンターバックを上げたポジションだからだ





トータルフットボールの象徴となった74年西ドイツW杯のオランダ代表は4-3-3、リベロはハーンだった
・ハーンはMFで、代表ではリベロの正選手が故障したためにDFとしてプレーしたのだが、ポジショニングは センターバックでコンビを組むレイスベルヘンの前方にいることが少なくなかった
  →当時のオランダが縦にマークを受け渡していく前進守備を採用していた事、ハーンに展開力があって攻撃   時には中盤の底で組み立てに入ることによる
・この前方のリベロが3-4-3の「4」の底であり、上がった「センターバック」なのである
アヤックスでは、ライカールトがこのポジションの代表だった
・相手が3トップで、リベロのブリントがサイドに引き出された時には、ライカールトが最後尾に戻ってCBに なるのだ

システムはだが、EURO 1996のイングランドがよく似たカバーリングを行なっている
・3バックはネビル、アダムズ、ピアース
・3-5-2の両翼はマクナマナンとアンダートンで、MFまたはウイングプレーヤーとして高い位置をとっていた
 そのため、ウイングバックの裏をつかれるとネビル、ピアースがサイドへ引き出されてしまう
  →中央のDFは2枚だ
・通常は逆サイドのWBが最終ラインまで戻ってくるのだが、この時のイングランドはMFのインスが最終ラ インに引いて、ゴール前の人数を3枚にしていた
 3バックの左右を務めたネビルとピアースは、元々SBのタイプでスペードと1対1の対応力に優れる
・彼らがサイドのカバーに走った時のセンターは、空中に強いアダムズとインス
  →インスは”中盤にいるセンターバック”で、アヤックスにおけるライカールトと似た役割であった

ライカールトとブリントは縦に並んだふたりのリベロで、センターバックだった
・ただ、攻撃時にライカールトは中盤の底でパスワークの軸となっていたから、攻守両面で貢献をしていたこ
・足下の上手さはブリントも同様で、ほかのDFもボールコントロールが上手い
・ブリント以外のDFを便宜上ストッパーと書いてしまったが、アヤックスのDFは頑健で相手の攻撃を跳ね返 すタイプではなく、リベロサイドバックのようなタイプが起用されていた

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE レバークーゼン

(4−2−3−1)

○11

○9          ○10
○8
○6  ○7
○4          ○5
○2  ○3

○1

メンバー表(01-02)

番号 選手名
1 ブット
2 ノボトニー
3 ルシオ
4 ブラセンテ
5 ズレスデン
6 バラック
7 ラメロウ
8 バシュトゥルク
9 ゼ・ロベルト
10 シュナイダー
11 ノイビル
監督 トップメラー

◇ドイツの亜流、変則4バックの攻撃サッカー
ドイツの古豪レバークーゼンの躍進を語る上で欠かせないのが、クリストフ・ダウムの存在だ
・プロ経験はないが指導者として卓越した手腕を発揮し、FCケルンでブンデスリーガ準優勝を2度経験    91-92シーズンにはシュツットガルトブンデスリーガ優勝の栄光を手にしている

そんなドイツ若手監督の旗手がレバークーゼンの監督に就任したのが、96-97シーズン
・以来、ブンデスリーガ2位、3位、2位と、常に優勝争いを演じながらも勝ち切れないシーズンが続いた
・ダウムがコカイン使用の薬物疑惑で更迭されると、チームは迷走
  →トップメラーは、そんな中でレバークーゼンに迎えられた

◇近代ドイツサッカーのふたつの潮流
90年代のドイツサッカーは、「2ストッパー+1リベロ」の旧態依然とした3バックが体制派だった
・ヨーロッパの中でもドイツやイタリアは「マンツーマンディフェンス」を継続して採用してきた国
 イタリアは80年代後半のサッキ・ミランの登場で「ゾーンディフェンス」に移行していく
  →だが、90年代のドイツはマンツーマンとゾーンの間で揺れ動くことになる

マンツーマンディフェンスを主体とするベテラン監督に対して、若手の理論派は4バックのゾーンディフェンス導入に積極的だった
・迷走の象徴は、ルディ・フェラーが率いたEURO2004のドイツ代表だ
  →予選は4バックで戦いながら、本大会では初戦は4バック、2戦目以降は3バックに回帰するというドタ   バタ劇の末に、グループリーグ敗退という屈辱の結果に終わった
・結局このせめぎ合いは、ラインコントロールを重視した現代的な4バックを採用したクリンスマンが、06年 ドイツW杯で大きな成功を収めるまで続くことになる
ダウムは、改革派の若手監督の旗手だった
・今までのドイツサッカーとは一線を画したショートパスを繋ぐパスサッカーを志向
  →のちにヨーロッパでも異端の攻撃サッカーといわれたレバークーゼンのスタイルは、ダウムの時代が土台   になっている

01-02シーズンにレバークーゼンの監督に就任したトップメラーも、ダウム同様の改革派だった
・そんなトップメラーが目指したのは、新しいスタイルに従来のドイツサッカーの長所を組み込むことだった
  →基本は4バックだが、両サイドバックのブラセンテとズレスデンが非常に高い位置をとることが特徴で、   彼らが上がった際はボランチラメロウが下がって3バックになる
・前線からの激しいプレッシングやそれと連動した細かいラインコントロールは現代サッカーのそれであり、
 このチームのベースは明らかにダウム時代から築いてきた改革派の流れを汲むものだ
  →そこに身体が強く、マンマーク力も高いドイツ的なタレントであるラメロウを組み込むことで、ふたつの   スタイルの融合を目指したのである

◇トップメラーの変則4バック
リベロの位置にゲームメーカーを置くのはドイツのお家芸になっているが、そのリベロを一列前に置いたフォアリベロ(前に出たリベロ)も戦術的なバリエーションのひとつだった
 →トップメラーはそれを応用して、変則4バックのメカニズムを作り上げたのである

実はこのシステムは、94年アメリカW杯でブラジル代表のパレイラが採用したシステムに酷似している
・守備的な第一ボランチ(プリメイロ・ボランチ)がDFラインに下がって、攻撃的な両SBを押し上げる
 以降、この方法はブラジルサッカー界で一般的になった
  →ドイツ的なフォアリベロはブラジルで花開き、そして再びドイツに戻ってきたのである

このシステムの利点はフォアリベロが守備のバランスをとる事で、攻撃的な選手を多数共存させられる事にある
 当時のレバークーゼン
  ・前述した両SBのふたり、そして中盤にもバシュトゥルク、バラックゼ・ロベルトといった高い技術を   持った選手を並べていた
 通常は4-2-3-1だが、攻撃時は3-6-1に変形
  ・6人という極端に人数をかけた中盤が、攻撃時はショートパスの繋ぎ役として、そしてボールを奪われた   直後の守備時には高密度のプレッシング要員として機能していた
    →加えて、1トップのノボトニーはムービング型のFWで、中盤の人数は実質7人に近かった

<01-02シーズン>
この異端の攻撃サッカーはヨーロッパの舞台で旋風を巻き起こし、冒頭のCL決勝まで駒を進めた
・翌シーズン、バラックゼ・ロベルトといった主力をバイエルンに引き抜かれたこともあり、チームは迷走
  →トップメラーは解任され、アウゲンターラー監督時代にCLでレアル・マドリードを破るなど一瞬の輝き   は見せたものの、その後はブンデスリーガの中位を彷徨っている

CHAPTER4|OTHER LEAGUSE バイエルン・ミュンヘン

(4−4−2)

○10    ○11

○8          ○9

○6  ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 カーン
2 ラーム
3 デミチュリス
4 ルシオ
5 レール
6 ゼ・ロベルト
7 ファン・ボメル
8 リベリ
9 アルティントップ
10 クローゼ
11 トーニ
監督 ヒッツフェルト

◇異端の王者
ドイツ人はサイド攻撃を好む
・理を重んじる国民性から、オーソドックスなアプローチを支持するのかもしれない
・現在でも、下部リーグの攻撃練習といえばサイド攻撃一本槍だとプレーしていた人に聞いたこともある
  →ところが、バイエルンは執拗に中央突破を狙っていた
   確かにゴールは中央にあるのだが、それ以上にペナルティーエリアの鬼才ミュラーが中央にいたというの   が本当の理由だろう

マンパワーを生かしたオーソドックスな戦術
ドイツのビッグクラブであるバイエルンだが、ヨーロッパでは健全経営で知られている
決して無理な背伸びはせず収入の範囲内でしか支出はしない
その健全さゆえに、CLのビッグクラブの中でやや遅れをとった感もある

現在は、再びヨーロッパの頂点を目指して巻き返しの最中だ
・07-08シーズンには大型補強も行った
・2トップにトーニ、クローゼを獲得、この大砲2門をを並べ、やはり新加入のリベリや中心選手となったゼ・ ロベルトらが、せっせと弾を供給していく
・ドイツ代表のシュバインシュタイガーポドルスキがベンチを温めるほどの陣容を整えた

プレースタイルは70年代の異端ではなく、ドイツらしいパワーに溢れたオーソドックスだ
・フォーメーションは、いわゆるボックス型の4-4-2
・持ち前の安定したパスワークでボールを運ぶと、ゴール前に並んだ大砲ふたりにクロスを入れる
 ふたりとも空中戦に強く、足下も確かで、信頼できる経験豊富な純粋なストライカーである
  →頑健なドイツのDFといえども、このふたりに圧力をかけ続けられたら苦しい


攻撃の中心は左サイド
・MFのリベリの後ろからはSBのラームが上がってくる
 このふたりはともに右利きなのだが、左足のクロスはスムーズだ
 左右両足を使える選手がふたりいるので、守る側はかなり的が絞りにくいだろう
  →その上、ふたりともドリブルで抜く力も持っている
   縦に抜けてクロス、カットインしてシュートやクロス、さらにどちらかへ行くと見せかけてもうひとりを   使うこともできる
・しかし、左へ侵入してくるのはこのふたりだけではない
 ボランチゼ・ロベルトも来る
 左利きのゼ・ロベルトは、ブラジル代表でLWGを務めたこともある左のスペシャリストである
  →リベリ、ラーム、ゼ・ロベルトと役者の揃った左サイドからは、高い確率でチャンスになると考えられる
 
クロスも硬軟自在
・時にはフワリとしたボールを上げることもある
・ソフトなボールはDFに対応時間を与えてしまうぶん、本来はあまり効果はない
 ところが、バイエルンは空中戦に強いFWがゴール前で待ち構えていて、コンタクトプレーも非常に強い
  →DFとすれば、なんとかヘディングで跳ね返したとしてもクロスの球速そのものが緩いので大きく弾き返    せず、バイエルンはクリアを拾って二次攻撃を仕掛けることができるのだ
・トーニやクローゼに競りかけられることで、クリアさえ出来ずにペナルティーエリア内でのこぼれ球になるケ ースも出てくる
  →バレーボールにおけるブロックの”吸い込み”に似たことが起こりうるのだ

しかし、バイエルンは2トップへのハイクロス一辺倒のチームではない
・伝統の細かいパスワ−クは健在で、最終局面までは丁寧につないでいくことが多い
  →アタッキング・サードでのハイクロスの多さは、2トップがそれに合ったタイプのFWだという事だろう

どの時代でもスター選手を揃えていたバイエルンは、個性の生かし方が上手い
・戦術そのものはオーソドックスで新味はないのだが、逆にそれが常勝の理由でもあると思う
  →これはイタリアのユベントスやスペインのレアル・マドリードにも通じるビッグクラブの勝ち方といえる   かもしれない

すべてのポジションにリーグ最高水準の選手を持ち、バックアップの層も厚い
・基本的に1対1で優位
・奇抜な戦法を用いるよりも、オーソドックスで誰にでも理解しやすい戦術で大枠を定め、あとは個々の選手の 個性で色をつけていく
  →それで十分勝てるのだ
・毎年のように大物を加入させることもできる立場である
・あまり細かい戦術を用いてしまうと、新しい選手がフィットしなくなるリスクが大きくなる上、チーム戦術に ぴったり合致した選手しか補強できなくなるから、戦術自体はオーソドックスな方が良い

CHAPTER3|LIGA ESPANOLA ビジャレアル

 

(4−2−3−1)

○11

○8    ○9    ○10

○6  ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(05-06)

番号 選手名
1 ヴィエラ
2 アルアバレス
3 G.ロドリゲス
4 キケ・アルバレス
5 ハビ・ベンタ
6 マルコス・セナ
7 ホシッコ
8 ホセ・マリ
9 リケルメ
10 S.カソルラ
11 フォルラン
監督 ペジュグリーニ

リケルメ:その使用上の注意
チリ人のベジュグリーニ監督を迎えて、ビジャレアルは強豪の仲間入りを果たした
・CLに参戦したのは05-06シーズン、ベスト4まで勝ち上がった
  →しかし、ビジャレアルが見事だったのは、その後の没落を食い止めたことだ

スペインの地方都市クラブは、CLに参戦した後に急降下する傾向がある
・やはりベスト4入りしたデポルティーボがそうだった
  →セルタ・ヴィーゴ、レアル・ソシエダも2部落ちの悲哀を味わっている
・財政規模の小さいこれらのクラブは、ビッグクラブのような補強が出来ないし、選手層も厚くない
  →国内リーグとCL、二足のわらじを履くには基礎体力が十分ではないのだ

ピークを迎えた時に、CLという大きな負荷がかかってくる、無理をする、負傷者が出る
・あるいは中心選手を引き抜かれる
・チームワークと精密なコンビネーションで勝ってきたチームだから、軸になる選手を欠くと機能しなくなる
  →ひとりやふたりを補強できても、他の選手と合わなければ万事休すだ
・新しく軸に合う選手を選び抜いて揃えるほどの余裕はない
  →ウリだったチームプレーが崩れ始めると、あとは転落の一途である

ペジュグリーニ監督はリケルメを軸にチームを作った
・古典的なナンバー10、リケルメを使うのは簡単で難しい
・簡単なのは、全部任せてしまえばいいからだ
ボールを足下に集め、リケルメの代わりに守備をやってくれる選手を配置し、リケルメのパスに反応して点を 取ってくれるストライカーがいればいい
・難しいのは、リケルメを抑えられたらチームの機能は停止してしまうことだ
  →リケルメという心臓が止まったら、もうチームに血液は流れない



リケルメは彼のスタイルでしかプレーしない
・無類のボールアーティストではあるが、案外に不器用な選手である
あるいは不器用というよりは職人肌で、プレーの手順がきれいに決まっているマエストロだ
・右足でボールに触り、左半身を相手に預けた時は、まずボールをとられない
 右足のキックは硬軟自在、しかしスイングよりも左方向へボールが飛んでいく独特の軌道を持つ
・ユース時代はボランチだったそうで、プレーの選択は意外と手堅い
  →自分の出来ることだけを淡々とやるタイプ
・銀行預金みたいな選手で、ボールを預けさえすれば利子は付けてくれる
  →ただ、預けなければ何も起こらない
・スペースがなかろうが、マークされていようが、彼が要求するならボールは無条件に預けなければならない
  →つまり、リケルメを持ったチームは大して考える必要はなく、ひたすら自分たちの頭脳を守り、盛り立て   ていくだけだ
  
戦術はリケルメである
リケルメを理解すること、やりやすいように配慮すること、徹底的にサポートすること
  →それがビジャレアルの戦術とほぼイコールだった
・近年、ここまでチームの色を決めてしまう選手はジダンリケルメしかいない
  →何かをやりたい監督にとってはジレンマだろう

ペジュグリーニ監督は賢明だった
・彼はリケルメにすべてを託す
 やれ走れない、守備をしない、ボールを持ち過ぎる、、、、そうした文句は一切言わなかった
  →リケルメの使い方を心得ていたのだ
・彼が賢明だったのは、リケルメをばっさり切り捨てた態度にも表れている
 06年ドイツW杯が終わった後、新シーズンを迎えたリケルメはフィットしていなかった
  →故郷のボカ・ジュニアーズに貸し出され、そこでリベルタドーレス杯を制する原動力となると、すっかり   里心がついてしまう
・その点、リケルメはプロフェッショナルではない
 義務感や金や名誉では動かず、愛になびく
・ボカの街とチームメイトは、無償の愛を注いでくれる
 彼は愛情に飢え、愛のない場所では生きていけない
  →ビジャレアルに戻っても、心はブエノスアイレスへ置いたままだった

ペジュグリーニはプロフェッショナルだ
・使わないと決めたら、一切リケルメを使わないし、ベンチにも置かない
  →中途半端な使い方をしても、意味がないことを知っていた
リケルメ時代に築き上げた守備力を土台に、頭脳だけをすげ替えた
  →リケルメほど癖のないロベール・ピレスを新しい軸にして、脱リケルメに成功している

CHAPTER3|LIGA ESPANOLA デポルティーボ

 

(4−2−3−1)

○11

○8    ○10    ○9

○6  ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(03-04)

番号 選手名
1 モリー
2 ロメロ
3 ナイベト
4 アンドラーデ
5 M.パブロ
6 M.シルバ
7 セルヒオ
8 ルケ
9 バレロン
10 ビクトル
11 パンディアーニ
監督 イルレタ

◇奇跡のチーム”スーペル・デポル”
この原稿を執筆するために、あらためて03-04シーズンのCL準々決勝、デポルティーボvsACミランの試合を見たのだが、そのレベルの高さに驚いた
・当時のミランはチームとしてのピークを迎えており、主力の高齢化に悩まされている現在よりも強かった
・だが、デポルティーボもまったく負けていなかった
 前線からの組織的なプレッシング、巧妙なラインコントロール、練り込まれたサイド攻撃
→これらを武器にタレント力で上回る相手と高度な頭脳戦を展開していた

◇4−2−3−1の理想形
”スーペル・デポル”の誕生は、98-99シーズンにハビエル・イルレタが監督に就任するところまで遡る
・99-00シーズンには早々とリーガを制し、在任6シーズンでCLベスト4が1回、ベスト8が2回と欧州の舞 台でも輝かしい成績を残している
  →彼は「イルレタ・ノート」と呼ばれた分析ノート持ち、独自の戦術理論を駆使して、ラコルーニャの田舎   クラブをヨーロッパを代表する強豪へと育て上げた

デポルティーボは、今や現代サッカーの定番となった4-2-3-1の教科書だ
・このシステムのメリットは、大きく分けてふたつある
  →サイドにふたりの選手を常駐させられること
   中盤を2ラインで構成しているためボールポゼッションが容易になること
・1ラインはコンパクト志向でカウンター向きで、2ラインはパスコースが増えるのでポゼッション向きと見な されている

それまでスペインでは中盤ダイヤモンド型の4-4-2と、ダブルボランチ+両ワイドの4-4-2が主流だった
・前者が攻撃重視で、後者がバランス重視
  →いずれもスペインらしくサイドアタッカーを生かす布陣だ
・4-2-3-1は、バランス重視の後者の4-4-2からFWの1枚をトップ下に下げた形である


このシステムに限らず、1トップはゴール前の人数が足りないので、2列目からの飛び出しが必要不可欠だ
・4-2-3-1ならば、逆サイドのMFの飛び込みがポイントになる
イルレタは、この動きは徹底して叩き込んだ
  →右サイドのサンチェス、左サイドのルケが必ずファーサイドに顔を出す
・SB、DMF、SMFのトライアングルのパス回しは機械的で、逆サイドからの飛び込みを含めて極限までチーム プレーが練り込まれていた
  →当時のデポルティーボのサイドアタックからフィニッシュに至るメカニズムは、4-2-3-1の理想形

機械化されていたのは、パス回しだけではない
・むしろイルレタの真骨頂は守備にこそあった
・前線から激しく相手を追い立てて、DFラインを高い位置にキープ
 また、プレッシングの有無で細かくDFライ ンを上下動させた
・2ラインの中盤はポゼッション志向と前述したが、デポルティーボが画期的だったのは2ラインの中盤本来の 特徴であるポゼッションの優位性と、本来対立するコンパクト志向を高いレベルで融合させた点にある
 →1対1のプレスではなく、2ラインの中盤の位置関係を利用して前後左右から囲い込む事によって、ボール  ホルダーの選択肢が著しく限定されるので、思い切ってDFラインを上げられる寸法だ

◇高過ぎるチームの完成度が仇に
攻守において隅々までオートマティズムが浸透し、機能美すら感じさせる組織力を持つに至ったデポルティーボ
・だが皮肉にも、それがデポルティーボの、そしてイルレタの限界だった
  →プレーのパターン化は効率的な反面、相手に読まれると脆い
デポルティーボの場合、ネックになったのは守備面
  →機械的にDFラインを上げるので、その裏を突かれるようになった
03-04シーズンのCLのモナコ戦の3-8は、その象徴的な出来事である
・攻撃面でもサイドでのパターン化されたコンビネーションに依存するあまり、サイドチェンジを使った広い展 開が少ないという弊害も見受けられた
  →逆に、守備面でも局面に人数をかけるため、サイドチェンジされると弱い

メンバーが固定化されチームの完成度が極限まで高まったゆえに、生じるジレンマ
 →イルレタはその後、ベティスサラゴサの監督に就任しているが、いずれも辞任している

”スーペル・デポル”を「作ってしまった」ことで目指すサッカーのハードルが高くなり過ぎて、チーム作りに時間がかかるようになったのかもしれない
 →確かに数年スパンで構築したあのチームに、短時間で近づくのは容易ではない

CHAPTER3|LIGA ESPANOLA バレンシア

 

(4−2−3−1)

○11

○8    ○9    ○10

○6    ○7

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(03-04)

番号 選手名
1 カニサレス
2 カルボーニ
3 マルチェナ
4 アジャラ
5 C.トーレス
6 アルベルダ
7 バラハ
8 ビセンテ
9 アイマール
10 J.ロペス
11 ミスタ
監督 ベニテス◇土台を作る監督

サッカークラブには、サイクルというものがある
 →チームの基礎を固める時期、それをベースに発展していく時期、そして衰退していく時期だ

クーペルには、基礎を作る時期の監督として不可欠なカオスに秩序をもたらす才能がある
・好むシステムは、オーソドックスな4-4-2
・最もわかりやすい枠組みを用意し、それを利用して現代サッカーのメソッドを叩き込んでいく
  →彼に率いられたチームは、例外なくDFラインのコントロールやプレッシングなど現代サッカーの作法を   押さえた統制のとれたチームに仕上げられる

こうしたタイプの監督は戦術が未発達なアフリカ、アジアの代表チームや、選手の個性が強すぎて全くチームとしてまとまらないビッグクラブの建て直し要員として、うってつけの存在である

現代サッカーのポイント
・「攻」から「守」に切り替わった瞬間にいかに早く守備組織を構築できるか
 同時に「守」から「攻」に切り替わった瞬間にいかに早く攻撃にシフトできるか
・攻撃に人数をかければ守備が疎かになり、守備を意識し過ぎると今度は攻撃の迫力が出ない
→そのギリギリのせめぎ合いの中で、いかに適切な着地点を見出すかでチームのスケールが決まってくる

99-00、00-01にCLで2シーズン連続準優勝というクラブ史上に残る金字塔を打ち立てたクーペルのスタイル・クラウディオ・ロペスやジェラール・ロペスといった快足FWのスピードを生かした高速カウンターだった
・自陣の深い位置にDFとMFの2ラインで4+4の隙のないゾーンディフェンスを形成
・強固な守備ブロックで相手の攻撃を遮断し、素早いカウンターを仕掛けた

クーペルが用いた低い位置に守備ブロックを固めるゾーンディフェンス
モウリーニョチェルシーで採用して以来、急速に世界中に広まった
・実はこの戦術、効率的にスペースを埋められる4-4-2の利点を守備に応用した形で、北欧諸国で多く見られる
モウリーニョの4-4-2の源泉は、スペースを埋める事を重視する北米スタイルの4-4-2にあったかもしれない
ただし、違いもある
 「守」から「攻」に移った瞬間、攻撃に人数をかけるか否かだ
モウリーニョは走力のある選手を集めて人数をかけたカウンターを繰り出した
クーペルのスタイルは、人数をかけないカウンターサッカーだ
 攻撃は2トップ依存で守備ブロックは極力崩さない

クーペルのサッカー
バレンシアではクラブ躍進の基礎作りとして、インテルでは個性派をまとめるフレームワークとして機能した  →だが、単調なカウンターサッカーという内容が仇となり、監督としての評価を確立できなかった
・その後、マジョルカベティスパルマなどスペインとイタリアの中小クラブの監督を歴任した
 だが、いずれも途中解任されている
  →基礎から発展させていく手段がなかったことが、クーペルの限界だった

ベニテスという黄金期
そのクーペルのあとを受け継いだのが、ベニテスだった
・当時は無名だった若手監督の起用を疑問視する声もあったが、バレンシアは彼の下で花開くことになる
・就任初年度の01-02シーズンに国内リーグ制覇、03-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠

ベニテスは、クーペルの築いた基礎を土台に攻守のバランスの取り方をより高度な方法に変えていった
・今までのような原始的な「ポジション厳守」ではなく、「相互カバー」を重視
  →ひとりが動いたら、他の選手が随時スライドして穴埋めしていくやり方だ

選手の並びをオーソドックスな4-4-2から、中盤を2ラインにした4-2-3-1へと変更
・一般的に、1ラインの中盤はコンパクト志向でプレッシング向き、2ラインの中盤はパスコースを作りやすく ポゼッション向きとされているが、ベニテスはそのふたつの利点の融合を目指した
・守備時には、近い距離の選手がスライドして常に数的優位を作る
 サイドエリアはSMFとDMFとSBの3人が相互に監視、中央エリアでは2列目と3列目が上下から挟撃する
・ピッチ全体を均等にカバーする4-4-2では「1対1の守備」が基本になっており、戦術的な細工が利かない
  →そのため、4-2-3-1の立体的な中盤の構成をパスワークだけでなく、守備の局面でも利用した
・中盤のプレッシングが強化された事でDFラインを押し上げられるようになり、2ラインにもかかわらずコン パクトネストが保たれる仕組み
  →高度な守備戦術だが、ベニテス指導力クーペルが作った土台があったからこそ実現したものだろう

ベニテスの就任と同時にアイマールという攻撃に”違い”を作れるファンタジスタが加入したのも幸運だった
・ゴール前の多彩なアイディアはもちろん、自ら持ち上がってカウンターの起点となれるキープ力がある
 また、両サイドのロドリゲスやロペスの攻撃参加を効果的に引き出した
・高い位置でボールを奪い、アイマールを起点に素早くフィニッシュへつなげる
→それがベニテスのサッカーの基盤だった


クーペル時代のバレンシアはヨーロッパで確かな足跡を残した
・だが、スペインらしからぬ守備的なサッカーには賛否両論があった
・その後を継いだベニテスは、結果だけではなく内容も求められるという難しいミッションを見事にクリアした
 特筆すべきは安易な補強に走らずに前任者が築いたベクトルの上で、チームを発展させたこと
 当時のバレンシアは、組織の機能美を備えたヨーロッパでも屈指のチームだった
  →クーペルという助走期間を経て、バレンシアベニテスのチームでピークを迎えた

クーマンの悲劇
契約問題がこじれてベニテスが去ったあと、ラニエーリ、ロペスを経て、若手屈指の理論派キケ・サンチェスが監督に就任した
・結果的に彼は就任3年目の07-08シーズンに解任されたが、過去2年間の成績は決して悪くなかった
 にもかかわらず、ファンから認められなかったのは、攻撃のアイディアがなかったから
・ラインコントロールやプレッシングなどの守備面の指導力は評価できる
  →だが、それだけならばベニテス劣化コピーに過ぎない

・キケ・サンチェスはバレンシアのベクトルに合った監督で、チームの遺産を上手く利用した
 だが、プラスアルファがなかった
→消費されるだけで緩やかに下っていくサイクルに、バレンシアのファンは我慢ならなかった

ロナウドクーマンが招聘されたのは、そうした経緯からだった
クーマンはオランダスタイルの4-4-3を導入し、チームの抜本的な改革に着手
 同時にマドゥーロやバネガといったシステムにあった人材の獲得に動いた
→だが、カニサレスアルベルダ、アングロの3人に対する戦力外通告のドタバタ劇で、選手たちとの間に 溝が出来た
・また、新システムの4-4-3が機能せずに元の4-2-3-1に戻すなど、一時は残留争いに加わるほど低迷した
クーマンはシーズン終了を待たずに、あえなく解任されている

チームは生き物だ
 なんらかの変化がなければ、すぐに水が澱んでしまう
  ・不思議と高度な組織サッカーを見せるチームほど、その傾向は顕著だ
  ・ルイス・ファンハールが率いた90年代半ばのアヤックスもピークはほんの数年
   ライカールトの下でヨーロッパを席巻したバルセロナもわずか2年後にはチームが崩壊してしまった
 サッカークラブのサイクルは、理屈では説明しきれないところがある
・タイトルをとった満足感、戦術に対する飽き、新たな挑戦を望む心など、さまざまな心理が関わっている

バレンシアもキケ・サンチェスの時代には明らかに伸びしろをなくしていた
クーマンという全く新しい血を入れることで、サイクルを一新させる狙いは理解できる
→だが、チーム改革は長期的な視点を持って慎重に進めなければならない問題だ
・シーズン途中にチームを作り直すのは賢いやり方ではないし、彼らには長年熟成してきた確固たる土台がある
→なんの準備もなく新しいシステムを導入しても、上手くいくはずがない

CHAPTER3|LIGA ESPANOLA バルセロナ

(4−3−3)

○11
○9         ○10

○7       ○8
○6

○2   ○3  ○4   ○5

○1

メンバー表(07-08)

番号 選手名
1 V.バルデス
2 アビダル
3 G.ミリート
4 プジョル
5 ザンブロッタ
6 Y.トゥーレ
7 デコ
8 シャビ
9 ロナウジーニョ
10 メッシ
11 エトー
監督 ライカールト

◇オランダ流の踏襲
バルセロナ
・1928年に始まったリーガ・エスパニョーラの初代チャンピオンで、偉大な選手と共に栄光を築いてきた
・だが、独特のサッカー文化を加速させたのはクライフ監督が率いた”ドリームチーム”だった
→90-91シーズンから4連覇を達成している
・戦術的にはタッチラインいっぱいに開いたウイングプレイヤーを活用したパスワークに特徴があり、
 それはクライフがアヤックスの監督時代に導入した手法である

ファンハール監督で2連覇した時には、彼がアヤックスの監督だった時の選手を連れてきたので、バルセロナのオランダ化は加速した
・04-05シーズンから2連覇した時の監督もオランダ人のライカールト
・2006年にはCLも制したこの時代は、オランダ人が多かったわけではないが、プレースタイルはクライフ式

◇ウイングの活用
バルセロナの特徴は、ウイングプレーヤーの活用
ロナウジーニョ、メッシ、ボ−ジャン、イニエスタといったタイプが起用されている
・右にメッシ、左にロナウジーニョという配置が典型的だが、利き足とサイドが反対というのもバルセロナ

前線のサイドにテクニックのあるアタッカーを配置することで、ピッチの幅を広く使った攻撃を行う
 同時に、最も技術のある選手を最も余裕を持ってプレーできる場所に起用する
タッチラインを背にDFと対面できるサイドは、1対1で仕掛ける余裕がある
・現代のゲームでは、ピッチ中央は非常にプレッシャーが強い
 ロナウジーニョやメッシを中央で消耗させるよりも、サイドで存分に力を発揮させようという狙いである

左利きのメッシが右、右利きのロナウジーニョが左なのは、彼らにクロスを期待しているわけではない
・縦に抜いて相手DFを動かして、サイドからボールを折り返す、これは今も昔も重要な得点ルート
バルセロナでこのプレーをするのはむしろSBである

では、バルセロナのWGがどういうプレーをするのかというと、戦術的に決まりはない
・基本的に自由だが、選手によって得意なプレーはおよそ決まっている
・メッシが常に狙っているのは、中へドリブルでカットインしてからワンツーを使ってペナルティーエリア内へ 侵入してフィニッシュするプレーだ
  →このメッシの一連のプレーは、わかっていても止められないスピードがある
・左のロナウジーニョも似たような切り込みをみせる
  →だが、メッシのようにペナルティーエリアに突っ込んでいくよりも、もう一度足下で受けてラストパスを   狙う事が多い
・もちろんふたりとも、さまざまなプレーのバリエーションがあって型にはまっている訳ではない
  →だが、ゴールに直結するような流れの起点になるプレーを持っている
・縦へ進んでクロスなら、右利きが右サイドのほうが良い
  →だが、彼らのように中へ視野を持っていろいろな仕掛けをするなら、サイドと利き足は反対の方がプレー   しやすい

前を向いたら何でもできる選手、何かを持っている選手、一番クリエイティブなアタッカーをサイドに置く
・そこからの個人能力、個人技をチームプレーに結びつける
  →それがバルセロナの戦術の芯になっている部分だと思う

◇ビルドアップの上手さ
もうひとつ、バルセロナならではの特徴がパス回しの上手さである
・トライアングルを作り、そこでの素早いパス
そして、トライアングルから別のトライアングルへ移行する長いパス
→整然かつ洗練されたビルドアップは、このチームの伝統になっている

ショートパスをつないでボールを運んでいくバルセロナのビルドアップで、選手たちのボールコントロールの上手さや体のアングルの作り方の巧みさ、動き出しのタイミングなど、目に見える部分での上手さもあるのだが、・それ以上に特筆すべきはビジョンの良さだと思う
・パス回しの中で、ボールを止めてからパスコースを考える選手はいない
  →ボールが来る前には状況を把握している
バルセロナの選手が優れてるのは、ボールをコントロールしながらパスコースを探せるところにある
 「探す」といっても顔を上げて探すのではなく、ボールをコントロールしながら、ボールを見ながら探す
→要は、目で探すのではなく、イメージで探すのだ
・パスを出す時には、イメージを確認するだけ
→これができるから、厳しいプレッシャーを受けながらでも、平然とパスを回し続けられる

バルセロナに比べて技術レベルの低いチームだと、イメージでパスコースを探すことが出来ないので、予定通りに事が運ばないと、どうしてもプレーが遅くなってしまう
・最初のイメージに合わせてコントロールするのはいいが、予定のコースが塞がれた時に、
 [最初のコントロール]→[目で改善のコースを探す]→[ボ−ルを置き直す]という手順ではワンテンポ遅くなる
→蹴った時には、自分か受け手が相手に厳しくよせられてしまいかねない
バルセロナの場合は、最初のコントロールの時点でボールの置き所を変更してしまう
・右足の前にコントロールして右前に蹴るつもりだったが、そのコースがダメになった
・すると、右足の前ではなく左足の前にボールの置き所を変更する
  →この時、すでに改善のコースをイメージしている
・顔を上げて目で確認した時には、ほとんどキックの動作に入っている
  →つまり、見なくても誰がどこにいるかわかっている

ひとつのコースを遮断されたということは、別のコースが空く可能性が高い
・どのコースが空くのか、それをイメージする能力をほぼ全員が持っている
  →バルセロナというチームの強み
・厳しく追い込まれた時でも、巧みに相手のプレッシングをかいくぐり、あれよという間にボールを逆サイドへ 逃がす潮目に乗せてしまう
  →そういうプレーに対して、カンプノウのファンはすかさず拍手を送る
   ボールタッチの方向、置き方ひとつでも、盛大な拍手が沸き起こる

バルセロナ流戦術の本家であるオランダは、よく手段と目的を混同する
・戦術とは勝つための手段に過ぎない
・自分たちの人的資源、環境、伝統を生かし、最も勝ちやすいと考えられる、勝つために合理的な方法は何か?
  →それが戦術であるはずなのだが、代表選手などは、試合に負けると「ボールも支配してチャンスも作った   のに、負けたのは納得いかない」という顔をしているし、実際にそういうことを口にする選手もいる
・いうまでもなく手段が目的化してしまっている
→手段は手段に過ぎず、それが上手くいったからといって必ずしも目的が達せられるわけではない

バルセロナは結果にも厳しい
・R.マドリードへの対抗意識が強く、ここに後れをとるのは耐えられない
バルセロナから追われるように出て行った選手、自ら逃げ出したスターは数多く、ここで選手生活を全うした スターなどいないといっていい
→クライフ、マラドーナリバウドロマーリオ、そしてロナウジーニョも例外ではなかった
・彼らが勝利をもたらす時は神のように崇め奉るが、ピークを過ぎてチームも勝てなくなると容赦はない
→その時は、次の神様候補が入団しているという寸法だ
バルセロナは、世界中で最もスターを消費し尽くしてきたクラブだろう
 美しくプレーするのは当たり前、その上で勝たなければならない
→ある意味、世界で最もハードルの高いクラブである